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 Movie Review 2004・7月8日(Thu.)

白いカラス
/Vol. 2

公式サイト: http://www.white-crow.jp/
< Vol. 1

 さて、『白いカラス』、原作者フィリップ・ロス曰く、「馬鹿げたポリティカル・コレクトネスという言葉のもとにすべてが押しつぶされ、矮小化され、低俗化してしまうのだ」、と、「ポリ・コレ」の欺瞞を暴きつつ、「ヒューマン・ステイン(人間の疵)」をかかえる人々を描きます。

「ヒューマン・ステイン」をかかえる登場人物たち

「Spook 事件」で大学を追い出されたホプキンスは、世捨て人状態の作家=ゲイリー・シニーズと親交を結びます。この作家は、原作者フィリップ・ロスの分身的キャラで、物語の語り手なんですが、仲良くなってある日、ホプキンスは「恋をしている」と作家にうちあけます。ここで、恋してウキウキホプキンスが、迷惑顔のゲイリー・シニーズとチークダンスを踊る、という珍奇な光景が展開、なかなか狂ったシーンですね。

 さてホプキンスの恋の相手はニコール・キッドマン。彼女は、大学などの清掃人、低賃金労働する美女で、学部長だった頃のホプキンスにとっては“透明な存在”、しかし Spook 事件渦中で妻に先立たれたホプキンスは、キッドマンの「うちに寄ってく?」との誘いにほいほい乗って、男女の仲となります。

 70 歳ホプキンスは、ヴァイアグラを服用してせっせと愛の行為に励みます。友人となった作家ゲイリー・シニーズから「年甲斐もなく…」と言われたりしますが、ホプキンス断固たる口調で答えて、「これは自分にとって最後の恋なんだ!」。

 あらゆる共同体から排除された老教授にとって、しがみつくものは恋しかない、という悲痛さとともに、恋してしまえば共同体から排除されようが何されようが関係ない! という盲目の恋に浸ることの幸福が入り交じった名セリフですね。ホプキンスの恋は、冒頭の講義で語られた、アキレスが恋を貫く物語と重なり合うのでした。

 また、キッドマンの別れた夫エド・ハリスは、ベトナム帰還兵で、PTSD (心的外傷後ストレス障害)を負っている……という具合に、主要キャラは、みな、なにがしかヒューマン・ステイン=人生の疵を負っております。彼・彼女たちは、みな、共同体社会からはじきとばされ、孤独に生きている。

 再び、原作者フィリップ・ロスの言葉を掲げます。

「人間はしみを、痕跡を、しるしを残す。それがここに存在している、唯一の証なのだ。」(『白いカラス』チラシより)

「迫害する精神」の蔓延

 私はふと、原作を読まねばなるまいと思い立ち、早速『ヒューマン・ステイン』をポチッと購入、最初の方をパラッと読んでみたのでした。以下は、同書より、1998 年アメリカについての文章です。

 アメリカ全体では凄まじい宗教的な狂騒、ピューリタン的な狂騒の夏だった。フェラチオの話題があり、そのあとにテロリズムが続いた――コミュニズムのあとを継いで国家安全への主要な脅威となったのがテロリズムだった。男らしく若々しい中年の大統領と、大胆にものぼせ上がった二十一の研修生、この二人が大統領執務室でしたこと――駐車場に車を停めた二人のティーンエージャーのようにしていたこと――が、アメリカ最古の共同体的な情熱を甦らせた。歴史的に見れば、おそらく最も危険で破壊的な快楽を甦らせたのだ。信心家ぶることの恍惚である。国会、新聞、そしてネットワーク上など、スタンドプレー好きの独善的な連中――人を非難したり、嘆いたり、罰を与えたりしたくてたまらない輩――が至るところに現れ、声を張り上げて説教を始めた。みな、計算ずくの熱狂に駆られていた。ホーソーン(中略)がずっと昔、国の草創期に、「迫害する精神」と呼んだ精神状態。彼らはみな、浄化という厳格な儀式を遂行したくてたまらなかった。

 ふむふむ。どうやら、「迫害する精神」というのがポイントのようです。「迫害する精神」とは、京都弁でいえば「いけず」でしょう。ルインスキー騒動はアメリカ人の「いけず心」を呼び覚まし、「ポリ・コレ」が猖獗を極める。人は誰しも「ヒューマン・ステイン」を持っているはずなのに、目立った疵を持つ者を迫害し、共同体からはじき飛ばしてしまう…『白いカラス』は、そういう物語である。かもしれない。

 映画では、タバコが印象的な小道具として扱われています。

  1. ホプキンス青年時代の回想で、北欧系の彼女は、ビートニクス風に、すぱすぱすぱすぱ遠慮なしにタバコを吸いまくる。
  2. N ・キッドマンも、場所を選ばず、すぱすぱタバコを吸う。
  3. ベトナム帰還兵エド・ハリスは、「タバコ吸ってもいいかな?」と同席者に尋ねる。
  4. そしてある夜、N ・キッドマンが高級レストランでタバコを吸おうとすると……、ギャルソンに「タバコはご遠慮願います」と言われてしまう…。

 タバコをめぐる描写の変化は、「いけず心」が蔓延していることを表している、と私は見ました。ちょうど『戦場のピアニスト』などホロコーストを描く映画の、ユダヤ人の自由が少しずつ奪われていく過程を勝手に連想したのでした。

 映画が終わりに近づいた頃、ホプキンス追い出しに荷担した教授の一人が、「ポリ・コレ」を「馬鹿げた、自主的な検閲だった」と反省します。たとえばナチスにしても、スターリン時代ソビエトにしても、検閲は、国家による強制的なものと描かれがちですが、検閲とはまず、大衆が自主的に行うものなのでしょう。「ポリ・コレ」という自主的な検閲・言論統制が行われる国家は、ファシズムに限りなく近づいているのだ、と私は一人ごちたのでした。

悲痛な、恋の物語

 そんなことはどうでもよくて、というか、そんなことはどうでもよくなるくらいにホプキンスとキッドマンが、強烈に惹かれあう恋の物語が悲痛で、素晴らしいです。

 40 歳近く歳が離れ、社会的なステータスもまったく異なっていながら、心に疵を負った二人が出会って、「疵を負っているのは自分だけではない、人は誰でも心に疵を負っているのだ」、そのことに気づき、相手を思いやる境地に至る。痴話喧嘩などした後に、誰にも話せなかった“秘密”を打ち明け、心の平穏を得る。隠すことなど何もなく、心のすべてをさらけ出せる人が一人でもいれば、他人のいけずなど気に病む必要なし! 私は茫然と感動しました。『白いカラス』は、人が、人生の秘密のうちあけどころを探す遍歴の物語なのである。かもしれない。

『ドッグヴィル』『コールド・マウンテン』、そしてこの『白いカラス』とニコール・キッドマンは今、絶好調時代を迎えているのではないか? って感じで、ホワイト・トラッシュを見事に演じます。一方、アンソニー・ホプキンスは、あまり「ユダヤ人教授」っぽくなく、ってよく知らないのですが、レクター博士と芸風が同じ、ちょっと堂々としすぎていたかも知れませんね。

 ところでロバート・ベントン監督といえば、「キャメラを持った男」こと撮影監督ネストール・アルメンドロスと 5 作品を撮った監督さん、ネストール・アルメンドロスといえば、フランソワ・トリュフォー(『緑色の部屋』『日曜日が待ち遠しい!』などなど)との名コンビで知られており、ことに室内照明で圧倒的な自然さを見せた撮影監督さんでした。

 アルメンドロスは 1992 年に死去、ロバート・ベントン監督も名コンビを失ってさぞ途方に暮れたことと存じますが、今回はレオス・カラックス作品などのジャン=イヴ・エスコフィエ(『汚れた血』『ポンヌフの恋人』)を撮影監督に起用、アルメンドロスを彷彿とさせるルック(画面の見え方)で、キッドマンや、エド・ハリスなど見慣れたスター俳優の、今まで見たことがないような顔をとらえた映像が気色よいです。

 しかし、ジャン=イヴ・エスコフィエも『白いカラス』撮了直後に亡くなられたそうで、ロバート・ベントン監督またまた途方に暮れておられることと存じます。

 色んな話が盛り込まれている割には上映時間は 108 分と意外に短く、エピローグのエド・ハリスとゲイリー・シニーズの会話もよくわからないし、きっと製作ミラマックスがじゃきじゃきとカットしたのでは? きっと別にディレクターズ・カット版があるに違いない、と邪推するのですけど、よくわからないところはありつつ、ルインスキー騒動、ポリティカル・コレクトネス、ヴァイアグラ、ホプキンスの“秘密”など、これまでメジャー映画であまり描かれなかった題材にチャレンジしたロバート・ベントンの意気やよし、バチグンのオススメです。

☆☆☆★★★(☆= 20 点・★= 5 点)

BABA Original: 2004-jul-7
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