電車にて(その2) [生活]
「ねえねえ、カレー以外で食べたいものある?」 と尋ねられる昨今です。 ということで前回のおさらい:イタリアの地元で切符を持たずに電車に乗車したものの、私は焦らず悠然としていた。とは言え速やかに車掌さんを探し出し、乗車券を購入する必要があった。
最後尾から車掌さんの探索を開始し、列車の先頭に向かって歩き始めました。…どこにもいない。
車掌を捜す必要が生じた場合、日本の電車であればたいがい最後尾の「車掌室」に行けばことが済むでしょうが、私がふだん乗っている電車では(そして多分イタリアのどこにいっても同じだと思うのですが)車掌さんはどこにいるかわからないのです。車内アナウンスもありません。そういうシステムなのです。
先頭の運転室の手前まで来ました。運転室は日本の大抵の電車とは異なり、中が見えません。磨りガラスの窓をコンコンっとノックすると、がちゃっと扉が開き、制服を着用した男の人が「何でしょう?」と言いました。肩越しには運転手が見える、ということはこの人が間違い無く車掌さんです。
「さっきの駅で乗ったんですけど、時間が無くて切符が買えなかったので、今ここでミラノまでの切符を買えますか?」
「えーっと、いいけど、座席に車掌さんが回ってきたときに買ってね。で、この場合、5ユーロ払ってね」
おや、いま5ユーロって言ったような? 聞き間違えた可能性もあるし、もう一度確認しておこう。外国暮らしをスムーズに送るためには曖昧さを埋めるための確認作業がとっても大切なんだ。
「あの、すみません、もう一度言ってもらえますか?」
「切符は車掌が回ってきたときに買ってね」
…って、アンタ。めちゃくちゃ暇そうなあなたが車掌さんでしょっ。と心の中で突っ込みつつ、
「はい。そこはわかりました。それから?」
「それから、列車で切符を買う場合は5ユーロかかるよ」
「え、でも…。駅で切符を買う時間が無かったんですKEDO!」
「残念ながらこれは、そういう規則でねえ」
「列車の上でも切符が購入できるって聞いてたんですが…」
「4ヶ月前に規則が改訂になってねえ。仕方ないんだよ」
と、両手を広げながら『仕方なさ』をアピールしてきました。
「そんなー」
「だって。駅には自動券売機もあるし窓口だってある。切符を買ってから電車に乗る、これがルールなんだ。いやなら次の駅で降りるしかないさ」
承知しかねる私に目を遣りつつ、なぜか嫌らしさのない微笑みを浮かべつつもう一度両手を広げてから車掌さんは運転室のドアをバタンと閉めました。
私が乗る駅からミラノまでの運賃は1.9ユーロで約350円。これに5ユーロを足せば6.9ユーロになって約1000円。万が一このようなことが経済的意味における切符購入方法に厳格なKKちゃんに知られようものなら。もしも、「やあ、このカレーときたらバチグンにおいしいね。これを食べると途端に王様になった気分さ。そう、君はクイーンさ! ときに、ミラノまで6.9ユーロ払ってねえ、今日という日は」 なんて口を滑らそうものなら。刹那、死刑(比喩的)が確定することは間違いない。そんな事態に発展すれば二度とカレーを口にすることが出来なくなるかもしれない。
だがミラノで人と会う約束をしている今の私には乗車券不携帯による途中下車という選択肢はそもそも存在すらしていないのでありました。思い悩んでも全く意味がない。ああ、払うしかないか、5ユーロを! さようなら、愛しの5ユーロちゃん!
あの車掌さんが切符確認作業を開始した途端に見つかるのは避けたいな。とすると列車の最後尾に行くのが一番いいな。でもそうすると何となく負けた気がするな。カレー食べたいな。なんて葛藤しながら列車の先頭から幾らか離れた車両までトボトボ歩いて行き、着席しました。中途半端な京都人がここにあった。
終着駅に到着するまであと30分くらいあります。私は “最後の駅に到着するまで車掌さんが切符の確認に来ない” という可能性に賭けていました。集中して読書しているフリをしながら。
…まだ続きます。でも次回が最終回です。
Text by power
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