ボー [生活]
ついにクララが起立に成功しました。クララは立てるのです! …って何の事か分からない方はごめんなさい。
メトロに乗りました。ミラノのメトロの最大の特徴はドアの閉まり方にあります。日本のたいがいの電車でのドアの閉じる音が "バンッ" 程度だとすると、ミラノのメトロのドアは、 "ズバァァァァーン!" と表現するのが誇張抜きにふさわしいですね。乗車時には我知らず命を落とさないように心がけたいものです。
さて、いつもの調子でメトロに乗りながら私はフと気づいたのです。いま車両に乗っている25人(数えてみました)のうち誰一人、本、雑誌、新聞などの文字を読んでいない。 携帯電話も誰一人いじっていない。皆が皆、ただボーと空中を見つめながらメトロに揺られている。
どうなんだいこの時間の使い方っ。と私は自分に問いました。イタリア人の読書率がとても低いことや、社会全体のスピードが日本と比較して格段に遅いことも関係しているに違いありませんけど、全員が申し合わせたように何もしないでメトロに乗っているというのは、日本の常識からすれば尋常ではありません。
ここで思い浮かんだのがミヒャエル・エンデ作「モモ」です。ご存じの通り、これは時間を倹約したらいいことがあるよと騙す「時間どろぼう」が人々の時間をこっそり盗んでいき、人々の心が壊れていく…という話です。「時間とは、生きるということ、そのものなのです」「人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていくのです」といった、意義深い言葉が散りばめられている珠玉の作品ですが、ドイツ人のエンデはこの作品を、イタリアに一時的に移住している間に発表しているんですね。(そのためでしょう、「モモ」の中にはなんとなくイタリアを思わせる描写が含まれています。)
私はドイツに一度も行ったことがないので推測に過ぎませんが、エンデはイタリアに住んでみて、人々の時間の使い方、つまり生き方に何か斬新なものを見いだしたのではないでしょうか。
そしていま、私も暇な時の時間の使い方、すなわち生き方に新たな側面を付け加えようとしています!
ボー。
Comments
投稿者 店主 : 2008年12月23日 12:28
「モモ」といへば、“人の話を聴くことの大切さ”も描かれてゐましたよね。
ちゃんと人の話を聴く、といふ事が如何に難しい事か。みな、自分の話をするばかりで、ちゃんと他人の話を聴いてません。この事は、時間を節約する=効率ばかり追ひ求める、といふ事と大いに関係がある事です。
モモ(物語の主人公)の最大の能力は、人の話をちゃんと聴く事ができる、といふものでした。この力によって、モモは時間泥棒から時間を取り戻す事ができたのです。さういへばモモは、ジッと廃墟(古代ローマのコロセウム?)に座って時間を過ごしてゐましたよね。
・・・と、いふ事で、イタリアの方々はやはり“他人の話を聴くこと”にも長けてゐるんでせうか?
投稿者 power : 2008年12月23日 22:10
ボー。
あ、店主、こんにちは!
基本的にイタリア人はおしゃべりが好きです。でも、自分の言いたいことを述べる以上に他人の話を聴くことに長けているかどうかは何とも言えません。しかし、知人他人を問わず、会話によって人とコミュニケーションをしようとするポジティブな姿勢が見られるのは確かです。
以前にNHKで放送していた「テレビ・イタリア語会話」の中で、イタリアのとある街の中で歩いている人とか自転車に乗っている人とかにいきなり声をかけるシーンがありました。レポーターがイタリア語で「すみません」と言うと、「はい、なんでしょう?」と会話が始まるのです。あまりにも誰もが気持ち良く答えてくれるので、これは撮影の事前に打ち合わせをしているんだろうと思っていたのですが、イタリアでは本当にほとんどの人が他人に声をかけられると怪訝そうな顔一つせず、チョンっと立ち止まって 「はいなんでしょう?」 と、質問を聴く姿勢になるのです。これって、自分の時間を他の人のためにちょっと使うことに抵抗がない証拠でもあると思うのですがいかがでしょう。
ボー。
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