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サ ラ リ ー マ ン テ ク ノ カ ッ ト 3
Vespa を買った。前回のサラリーマンテクノカットで自らが MOD であると気づいたからには当然の行為だろうなどと言えばちょっと待て、そもそもアーリーモッズにはスクーターなど必須ではなくスクーターに乗ったアノラックモッズはモッズの堕落形態だと言う意見まであるくらいなのだから MOD だからといって Vespa を買う必然性はないよ等というモッズ通が現れるかもしれないが、そんな事は百も承知。前回も述べたように私がよってたつ所はダンディズムであり、かといって今の時代にダンディズムといったって少々時代錯誤で感得しにくいところがあるうえ私自身がサブカルチャーに浸って育った人間でもあるので自らを規定するうえで MOD というスタイルを選択したまでであり、モッズ的ディテイルにはそれほどこだわらない。大体モッズ達が好むとされるブルースや R & B、モータウンサウンドなどには元来あまり興味がなくスミスのことをモッズバンドなどと呼んでいる様なので正統派モッズからは無茶苦茶だと非難されてもしかたがないだろう。私がやっているのはモッズ概念の再規定であり、それによって世間とわたりあい生きていく事である。
ロックというものは 1960 年代後半に巨大な盛り上がりをみせた“大きな物語”を内包していてロックの死が宣告されたあともそれは脈々と生き残っているようだ。その“大きな物語”とは新しい音楽とドラッグによる精神革命、新しい音楽によって人種・国境の壁を越えての絶対平和、新しい音楽によって真に愛しあう事などであるが最近ではどうやらテクノがこの“大きな物語”を再生しようと目論でいるらしい。上記の「新しい音楽」という所をテクノに置き換えたようなテクノ論はよく目にするし“セカンド・サマーオブラブ”“ラブパレード”などという不穏な言葉もちょくちょく見かける。もちろんクラブ、レイブ、ドラッグなどを一切拒否するデトロイトテクノなるものがある事は聞き及んでいるし私もそれ故にテクノに興味を持ったようなものなのだが、日本語で書かれたテクノ論でデトロイトテクノを誉めているものこそ数多あれどデトロイトテクノを体現したような文章にはほとんどお目に掛かったことがない。例えば日本で今一番有名であろうテクノライター野田努。彼は「広い意味で言えば、テクノは方法論だ。」(ele-king 創刊号)とか「つまりテクノは共同体的な幻想からむしろ積極的に離れていく動きではないか。」(テクノボン)とか「感情論ではなく、すごくロジカルなんだよね。」(COSMIC・SOUL 小泉雅史との対談)とか何とも魅力的な事を書いていてこれぞデトロイトテクノの精神かと一見思わせるのだが、彼のやっている雑誌 ele-king にしても石野卓球とやっている啓蒙活動にしてもどうも“大きな物語”再生への活動にみえてしかたがない。きらきらしい言葉を連ねてテクノへの幻想を煽ったりテクノの過去の名盤を紹介したりする行為はどうしても“大きな物語”へと流れて行く傾向は否めず、だからこそそれを支える強靱な論理と意志と方法論が必要なのだが野田努からそれを感じる事が私にはできない。
で、ここで MOD の登場である。私が流行の尻馬に乗った馬鹿みたいにモッズ、モッズと騒いでいるのはモッズの中に“大きな物語”に流されないスタイルを見い出して勝手に共感しているからでもある。モッズというものは高級イタリア製スクーターを買い最新流行の服やレコードに金をつぎこむために週末のウサ晴らしを夢見つつ月曜日から黙々と働きかといって別に仕事が面白いわけではないので常に不機嫌でガムを噛みそこら辺のものを蹴っ飛ばしている。私もガムこそ噛まないものの同じようなもので Vespa はボーナスで買ったのである。無論こんな状態を全肯定しているわけではなく悪夢のようなこの日常から何とか抜け出そうとあがいているわけだが抜け出すにしても決して“大きな物語”(=非日常・ユートピア)の方には行くまいとネクタイをしめなおしているわけである。“大きな物語”が如何に個人の具体性を抑圧し悲惨な結果を生むかということはオウム事件をまつまでもなく自明の事ではなかったか。
今でこそ MOD とかいって気取っている私も実は青春時代を 80 年代に過ごしたニューウェーブっ子だったのである。つまりロックの“大きな物語”をオールドウェーブとして軽侮しオールドウェーブの大罪――チャールズ・マンソン一派のシャロン・テート殺し、オルタモントの惨劇、ガイアナの人民寺院などを教養として“大きな物語”に対する不信感を徹底的に培って育ったのである。またロック以外でいっても当時はニューアカ全盛時でとにかく“大きな物語”を疑う事――近代、戦後民主主義、形而上学、文学、美学などなんでも! を刷り込まれたのである。そうであればこそ小林よしのり「ゴーマニズム宣言」が登場したときに少なからぬ衝撃を受け熱狂的に支持しカリスマ宣言以降は懐疑を深めていったのである。「ゴーマニズム宣言」は価値相対主義の克服を掲げるがそんな大層なものどないして克服せえと云うのか日々の苛立ち恐れ心配虚しさ心痛等を全てふくみこんだ価値観をうちたてられればそれは素晴らしい事だろうが幾ら考えてもなにをやっても価値といえるようなものはみえてこずいたずらに焦りと現状に対する不満のみが身を包み敏感になった心には硬直した精神に対する憎しみのみがどす黒く渦巻いていく。価値相対主義を越え普遍性に到達するためには強い意志と論理と方法論が必要でそれが私にとってのテクノであり故にそれは“大きな物語”へと流れていく世のテクノと似て非なるものであって多分それはショートカット誌上で分析哲学やひげや金村修の写真や松沢呉一の埋蔵原稿らと並べて語られる何かであったりするのではないかと愚考して私はこの原稿を書いていたりするのだった。
ところで Vespa であるが購入したその日に近所の郵便局の壁にぶつけて大破してしまった。買ったばかりのスーツは血まみれになるし傍で見ていた妻は茫然自失して言葉を失い私は力なく笑うのみ。観念的な駄文を書きつらねてきた罰として所謂身体性の復讐を受けたわけである。スタイルというものは流された血に比例して彫琢されていくものなのだと気取ってみるものの Vespa の修理費スーツの新調費怪我の治療費などでまたもや借金をかさねる事になりますますサラリーマン生活=悪しき二元論の深みにはまる事になってしまった。情けない。
(初出:ショートカット 49 号 1995 年 9 月 1 日発行)
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解 説
前 2 回のサラテクは 2 ヶ月に 1 回のペースでの投稿だったのが、この稿を書く前に桜井さんから、分量を倍に増やし毎月書いて貰えないか、という打診をうけ、サラリーマン生活の余暇を縫って書いていた私は結構つらかったのだけれども、自分の書いたものが人に評価されるのが嬉しく、その提案を受け入れることにした。このサラテク 3 はその最初の稿であり、突然のことだったのであまり時間がなく、急いでいろんなものをつめこんだために、まとまりのないものになっている。
またこの頃の私は、句読点・改行の多い読みやすい文章というのが嫌いで、わざと句読点・改行をはぶきまくって読みにくい文章を書いている。それでもちゃんと読めば分かるはずだ、という確信があり、ついてこれない奴は読まなくていいとさえ思っていた。現在の私はこの点に関してはさほどの執着はなくなったので、「最初に」に書いたように、句読点を増やして読みやすくしようと思ったのだが、ババさんが「このままの方が面白いんじゃないですか」と言ってくれたので、手をつけない事にした。頑張って読んで貰いたい。
さて本文の解説に移ると、まず注目すべきは「ブルースや R & B、モータウンサウンドなどには元来あまり興味がなく」という部分だ。何故なら現在の私は「ブルースや R & B、モータウンサウンド」ばかり聴いているからだ。つまり聴くものが変わってしまったわけだが、それがいつ頃かというと、正にこの原稿を書いていたサラリーマン時代ということになる。これは私にとっての「転向」体験だった。それは趣味が変わったというレベルの話ではなく、生き方そのものが変わったのだ。というかこの二つは私にとって同じものなのだ。芥川は「良心とは厳粛なる趣味である」と言ったが、拠ってたつなんのイデオロギーも道徳も持ち合わせていない私にとっても、趣味=良心=倫理の基盤だったのだ。以前の私にとってロックとは、ソウル、ジャズ、クラッシック等と並べられるような音楽の1ジャンルではなく、超越的なものだった。それはほとんど音楽ではなかったといってもよいだろう。
これらのことから、当時の私が「テクノ」というとき、求めていたのは単なる音楽の 1 ジャンルとしての「テクノ」ではなく、良心であり倫理の基盤であるものだったことが分かるだろう。この稿で私は野田努を批判しているが、今にして思えば彼とて「テクノ」に音楽以上のものを求めていたのだろう。それ故エレキングも創刊当時は、単なる音楽雑誌にはならないぞ、という意気込みが感じられたように思う。しかしすでにショートカットを知っていた私は、エレキングの試みなど幼稚でみていられなかったのだ。ショートカットこそ私にとっての「テクノ」だったのだ。そこには哲学があり、感性があり、方法論があり、妙な活気があった。
現時点で当時のショートカットを読み返してみれば、さほど面白くない。私の思い込みが過剰だったのだろうか。いや、この考え方は危険だ。現在の私が堕落しただけかもしれないし、全く違う次元に移ったために当時のことがわからなくなっているだけかもしれない。そういう意味で、このサラテクという稚拙で生硬で読みにくい文章の塊は今だに変な刺激を私にもたらし続けている。
変わったとはいえ、「大きな物語」の否定という方向性だけは変わっていない。だからこそ国民総背番号制とからめ「日本」という物語を再生しようとする現在の政府の方針には断固反対である。それは最悪の反動であり、倒すべき敵なのだ。
最後に付け加えれば、当時はモッズブームだったのだ。ファッション業界はこぞってモッズ風を取り入れ、雑誌はモッズ特集を組み、モッズの関連音源が続々と CD 化された。「流行の尻馬に乗った馬鹿みたいに〜」というのはそういう事情があったからだ。もちろん今はとっくにモッズブームは終焉し、当時のモッズくん達はみんなフォーク君やガレージ君などになってしまった。私はといえば、自分こそ真のモッドであったという確信を日々深めつつある。
(小川顕太郎)