地獄のお気楽
スペイン観光
04-01 Barcelona
04/Aug./2002(SUN.)
パルク・グエル その 1
「ガウディの
パルク・グエル」
オラー。バルセロナいよいよ 4 日目・最終日、では行きますか、「パルク・グエル Park Guell 」。
『ガウディのパルク・グエル』表紙
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さて、この「パルク・グエル」は…あらあら、またウンチクですかー? すいませーん。
いや、本日は、『ガウディのパルク・グエル』(E ・アルデバラン著 東洋書店)なる書物を紹介させていただきます。私、日本に帰ってきてからガウディ本をちょこちょこ読んだんですけど、この本、原題は「知られざるガウディ:ガウディのパルク・グエル」と申しまして、既成のガウディ論に異議を唱えまくって殊の外おもしろかったんですよ。以下、読み飛ばしていただいても大勢に影響はない。
そもそも「パルク・グエル」の「グエル」とは、若きガウディの才能をいち早く見抜き、良きパトロンであり友人であり続けた繊維工業資本家エウセビオ・グエル氏。そのグエルとガウディが、「カタルーニャ主義」で埋め尽くそうと計画した郊外の分譲住宅地(公園付)、それが「パルク・グエル」なのだっ。ババーン!
ところで、「カタルーニャ主義」とは何か?
19 世紀スペイン経済は、先進西欧諸国に遅れて発展したので、カタルーニャ資本家たちは、マドリード中央政府に保護主義政策を求めますが聞き入れられず、不満を募らせていたらしい。バルセロナは長い間、旧市街の城壁内に閉じこめられていたこともあって、アンチ・マドリード政府気分が横溢してカタルーニャ・ナショナリズムが盛り上がり、カタルーニャ独自の文化を発掘する文芸復興運動が盛んになる。カタルーニャの自由と団結を強調する考え方=「カタルーニャ主義」がバルセロナで盛り上がったわけです。グエルもガウディもカタルーニャ主義者だったそうな。
そして 1900 年から「分譲住宅地」として建設が開始されたパルク・グエル。一般的な定説として「イギリスの田園都市」にインスピレーションを得たとされています。日本語ガウディ関連本のほとんどにも、そう記述されている。
しかし、『ガウディのパルク・グエル』(スペインで出版は 1986 年)は、この定説に異議を唱えます。ガウディ自身が「イギリスの教育施設がモデル」と公言していたにかかわらず。
著者 E ・アルデバランは言います。パルク・グエルは英国スタイルの田園都市とはなんら関係がない! モデルになったのは、フランス南東部のニームの都市公園「ラ・フォンテーヌ」だっ! わざわざ見てきたのだから間違いない! ババーン! ニームは歴史的にバルセロナと関係が深く、グエルとガウディは、「パルク・グエル」でカタルーニャ賛歌を謡い上げんとしたのであった、と。
ところで現地パルク・グエルでは、130 ページほどある研究本が売られており、この巻末で『ガウディのパルク・グエル』が「グエル公園について理解しやすい」参考文献のひとつにあげられているんですね
そこでは、「イギリスの田園都市」には触れられず、ニーム(ガイド本では「ニンムス」表記)が、カタルーニャ主義者のリスペクトの対象であったことや、グエルが幼少期を過ごしたことが記述されている。つまりオフィシャルといっていいガイドは「ニーム起源説」を採用しているんですね。しかし同時に、ガウディの遺した言葉も尊重したい、と「イギリスの教育施設」がモデルでもあるとも述べられています。最近の研究ではこの辺が定説になっているのでは?
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アルデバランは歴史学者で、これまでのガウディ論は、主に建築学者によってなされていたので、歴史学の方法論からすれば資料の検証が不充分で、誤りを多く含んでいる、と問題提起します。
この本は単なるパルク・グエルの紹介本にとどまらず、これまでの「ガウディ研究」批判であり、建設当時のバルセロナ政治状況からパルク・グエルを読み解こうとする試論。なかなかにスリリングな読み物ですので、ガウディに興味を持たれた方にご一読をオススメします。スペインでは同著者による『不可解なガウディ:コロニア・グエルの地下聖堂』という本も出版されているそうで、ぜひ邦訳を出版していただきたいところ。
日本で出版されているガウディ本や、インターネット情報のほとんどが「イギリスの田園都市起源説」だったので、異説もあるということで、長々と紹介させていただきましたー。次回「パルク・グエル その 2」。アスタ・マニャーナ。
(BABA)
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