マトリックス
監督のウォシャウスキー兄弟は、きっとアニメや格闘ゲームが好きで好きでもうどうやったらその中に入り込めるだろうとばかり考えていて、そうだ! この世の外側に本当の世界があることにして、この世をゲーム内世界と考えればいいんだ! と思いついてこの映画を作ったんだろう。なぜなら、どう考えたってマトリックスに支配されてる世界の方が魅力的に描かれているからだ。きっとウォシャウスキー兄弟にとっての現実世界というのは、この映画に出てきたみたいに寒々として味気ないものなのだろう。そしてアニメやゲームの中の世界こそが、真に楽しい所なのだ。要するに現実逃避のオタク野郎という事だ。実際の所ネオが救世主だとしても、彼は現実世界では別に普通のアンチャンであり、マトリックスに支配された仮想世界でこそ、鉄砲の玉を除けたり超人的な活躍が出来たりするのだ。
どうもボンクラな登場人物ばかりのこの映画中、唯一知性と言えるものを持っているのが、裏切り者のおっさんである。彼は言う。「こんなメシもまずいし、殺伐として、ボロっちい現実世界とやらで、人のいうことを聞いてへいこら命をかけた危ない仕事をするより、仮想世界で金持ちの有名人になって楽しく暮らした方がずっといい。」まさにその通り。メチャ正しいでしょ。ウォシャウスキー兄弟だってそう考えているはずだ。「下らない現実世界で生きるより、ゲーム(アニメ)の世界で楽しく暮らした方がずっといい!」と。
では、何故ネオ達はマトリックスに支配された世界を偽物だと感じ、真実の世界を捜しもとめたのか。身も蓋もなく言ってしまえば、それは今ある自分の生活に満足できなかったからだが、彼等が主観的に持っている理由はまた別だろう。はっきりとは言われていないが、それはこの世(マトリックスの支配する世界)に不幸があるからだ。「わざと不幸をプログラミングした」というエージェントのセリフからもそれはうかがえる。
こんな不幸のある、汚れた世界なんておかしい、間違っている、どこかに真実の世界があるはずだ! とネオ達は考えたのだろうが、これは一昔前の左翼闘士、あるいは新宗教の人達と同じ思考方法だ。つまりあのネオ達が現実世界で乗っているボロっちい船、あれは「よど号」あるいは「上九一色村」だったのだ。
大体何故ネオ達は現実世界を、これこそ仮想ではなく現実だと認めたのか。モーフィンの説明が笑わす。なぜならそれは、人類がコンピューターによって栽培される衝撃的な様子を「見た」からだ、という。「見た」って五感はあてにならないのじゃなかったのか? これでは麻原彰晃に「気」を注入されたり修行で導かれたりして、「衝撃的」な「真実の世界」を「見せ」られて、オウム真理教に入信するのと変わらないではないか。
というわけで、この『マトリックス』という映画は、モーフィンと予言者を自称する婆さんに率いられた妄想狂信集団による革命騒動、という話かもしれないのだ。映画の最後にネオは言う。「これからマトリックスに支配された人々に真実の世界をみせる! 」と。さあ、「マトリックス 2」ではネオ達が地下鉄にサリンをまくぞ! みんな気をつけろ!!
オガケン Original: 1999-Sep-17;