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Movie Review 1999・10月02日(SAT.)

マイ・ネーム・イズ・ジョー

『自由と大地』『カルラの歌』という、映画館を出た後その辺のチャラチャラ鍵束を鳴らしながら車をズンドコズンドコいわしてるヤツらを見ると、「ちょっとそこに座れ!」と無性に説教したくなるようなラジカルな映画が 2 本続いた後の、ケン・ローチにとってホームグラウンドともいうべき市井の失業者を描く。

『マイ・ネーム・ジョー』って何? パンフを読むと欧米では「AA(アルコーリック・アノニマス)」――匿名的アルコール依存者の会というのがあって、そこでは「マイ・ネーム・イズ・ケンタロウ」とかいう具合に名前だけ名乗って「ボクはとあるカフェを経営しているんだけど、お客が来ないとついついワインをガブ飲みしてしまい…」とみんなで身の上話を語りあう。字幕では「AA」が「断酒会」と訳されていたけれど、匿名性を認めるか否かで「AA」と「断酒会」は異なる組織であるらしい。ふーん。

 主人公のジョーは「AA」のおかげでなんとか禁酒状態なんだけど、失業中であれやこれやと「オレにはジョーという名前しかないんだ」と言わしめるほど日々の生活はヘヴィーなものだ。ジョーは面倒見の良いナイス・ガイなんだけどブチ切れると何をしでかすかわからない危うさも持っている。さらに酒が入るとムクムクと心の中の邪悪さが首をもたげる、という厄介なヤツ。本人も自分のそういう面を自覚していて押さえ込もうとするんだけど状況がそれを許さない。もう、たまらん。普段から自分の邪悪さを表に出しておけば酒を飲んで暴れることもなかろうに、ねえ、とか言ってやりたいが、ああ、歯がゆいって感じだ。

 一見すると優しい雰囲気に満ちており、ラストシーンに救いを感じる人もいるようだが、それは鈍感というもので今回もバッチリ救いのない結末である。

 根底に流れるのは「人間を幸福にしない高度資本主義社会」に対する怒りだ。もちろんケン・ローチだから声高に叫ぶのではなくそこはかとないユーモアをまじえながら、見終わった後はズーンと暗くなる、という寸法。

 パンフにミルクマン斉藤氏が一文を寄せていて、「ローチ映画が目指すのはつまるところプロパガンダ。断じて映画はイデオロギーの走狗であってはならないというのが僕の信念であるから」「ケン・ローチという作家が大嫌いである」(※)…と述べている。そういうことを言ってしまえる無邪気さがミルクマン氏のいいところではあるのだろうけど、なんか、やれやれって感じぢゃないですか。ボクは、例えイデオロギーの走狗のような作品でも映画の枠を越えて色々議論を巻き起こす方がよっぽどおもしろいと思うのだけど。

 対してケン・ローチのインタヴューも掲載されていて、「しっかりとした考えもなくその分野(BABA 注:政治的映画のこと)に手を出せば、作品は単なるプロパガンダに成り下がる」(※)…要するに、オレ様はしっかりとした考えを持っているからただのプロパガンダ映画を撮ってるんぢゃあないんだぜ、そこんとこヨロシクってことだ。然り。まあ、ミルクマン氏に嫌われようがケン・ローチは痛くも痒くもないだろうが、ガンバレ、ケン・ローチ! オレがついてるぜ!

〈※引用は『マイ・ネーム・イズ・ジョー』パンフレットより〉

BABA
Original: 1999-Jan-02;

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