八月のクリスマス
あまり馴染みがない韓国映画であるが、パンフによるとこの作品のホ・ジノ監督を筆頭として、コリアン・ニュー・ウェイヴとでもいうべき若手監督による傑作が連続して作られているらしいので、これからドンドン公開される可能性はある。
それはさておき、『八月のクリスマス』は、北野武の『あの夏、いちばん静かな海』に匹敵する傑作だ。切れ味の良い編集は、ヴァイオレンスのない北野武風であり、リアリティのある日常描写は初期の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)風であり、一見ぬるいストーリーは奇を衒わない岩井俊二風でもある。テーマは韓国青年版『生きる』(黒澤明監督作)といったところだ。韓国映画に馴染みはなくともすんなり映画の世界に入っていける。ハングル文字の看板に何が書いてあるのかわからないのには少し困ったけれど。
主人公は町の小さな写真店の主人だ。ふとしたことで、婦人警官と会話をかわし、少しずつ、本当に少しずつ二人は接近していく。丁寧に日常描写を積み重ねて心の動きのプロセスを描く監督の手腕は今日では希有のものだ。
とにかく演出がストイックである。主人公がヒロインからの手紙を読むシーンがある。普通だったら、ここでヒロインの声がどこからともなく聞こえ、手紙が読み上げられるべきシーンなのだが、そういう映画のお約束的なものは何もない。観客は、ヒロインが手紙に何を書いたかについては永遠の謎を抱えたまま放り出されてしまう。人生なんてそんなものなんだろうなあ、とグッと来ます。
聞けば監督は小津安二郎が大好きとのこと。小津安二郎の映画を見るときに我々が味わう「なにものかが失われてしまった感覚』がここにも、確かに存在している。
主人公を演じるのはハン・ソッキュ。こんなヤツ、日本にいたらばちょっと危ないっちゅうねん、て感じだけど、韓国では出演作がすべてヒットのスターらしい。インド映画におけるラジニカーント同様に、我々の美意識が修正を迫れらるほど実に良い。さらにヒロインのシム・ウナがメチャクチャ良い。「遺影を自分で撮る写真屋」というのが監督の発想の原点だそうで、ロマンスの部分はヒロインがメチャクチャ良いから膨らんでしまったとのこと。と、いうくらい良い。男優は一見とっつきにくいローカルな魅力を持ち、女優は一目でわかるインターナショナル魅力を持つ、ってのはインド映画と同じですね。
それはともかく映画の原型である「ボーイ・ミーツ・ガール」物でもある。日本・アメリカ映画において、もはや「ボーイ・ミーツ・ガール」は映画の題材になりえないのではないか? という気がしている。なんとなれば、出会ったその日にベッドイン、てな男女が溢れかえっておれば、そんなもん映画にしたかてしょうがないでしょう。ひるがえって韓国。主人公とヒロインがなかなかくっつかないのは色々と事情があるんだけれども、ほいほいメイク・ラヴ、ってのは韓国社会においては依然としてタブーで、こういう映画が成立する土壌があるのかな? と思うがその辺どうなんでしょうね。主人公のストイックさを理解せず、「サッサとやっちゃえば?」と思う方もおられるでしょうが、それはモラルなき現代日本に住む者の感性である、ということをお忘れなきよう。
韓国からいきなりやってきた名作。少なくともボクは意表をつかれた。すいません、『風の丘をこえて―西便制』(韓国映画の名品らしい)は見てないんです。
パンフレットはちと高いが、川本三郎の評論、暉峻創三による韓国映画の現況レポート、監督の来日インタヴュー、採録シナリオも掲載。オッケーです。
BABA Original: 1999-Nov-02;