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 Movie Review 2005年3月1日(Tue.)

きみに読む物語

公式サイト: http://www.kimiyomu.jp/

『マディソン郡の橋』を超え、全米1,200万人が愛に震えた――。…って、そんなことはどうでもいいのですが、みなさん(誰?)お待ちかねニック・カサベテスの新作、今回は、「あっまーーーーい! 甘いよ〜、ものすごく甘いよ〜」とツッコミ入れてしまいそうなスーパーロマンチックなお話。ちなみにエンドタイトル後、すべてを台無しにしてしまう(かもしれない)日本版オマケ映像がついておりますのでご注意ください。エンドタイトルが終わったら、即、席を立たれることをオススメします。スピードワゴン(若手お笑い芸人)による「イメージ漫才」ならよかったのに…。ババーン!

 さて。とある河畔の老人ホーム。ジェームズ・ガーナーじいさんは、ジーナ・ローランズばあさんに、ノートに書かれた物語を読んで聞かせます(原題は“The Notebook”)

 時は1940年頃、アメリカ、田舎町、製材所につとめるブルーカラー青年ノアは、避暑にやってきた富豪の娘アリーに一目惚れ。ノアの熱烈・猛烈・強烈なアタックで二人は恋に落ちるも、アリーの両親・特に母親は、箱入り娘が貧乏人とつきあうのを快く思わず(当たり前)、哀れノアとアリーは離ればなれに……二人の愛の行方は? ババーン! …というお話。

 だんだんと、じいさんばあさんは、ノアとアリーの成れの果てであり、おばあさんはアルツハイマー病、おじいさんは、ノートを読むのが日課になっていること…などがわかってきます。

 若き二人の恋物語は、大甘・大時代的メロドラマですが、おばあさんは昔をきれいサッパリ忘れていて、それをおじいさんが思い出させようとノートを読む…という悲しいシチュエーション、甘さと苦さ=ロマンチックとリアリズムがうまいこと融合、近年まれに見る見事なラヴストーリーに仕上がっている、と一人ごちました。

 昔の話はご都合主義もよいとこなんですけれど、『ビヨンド the シー』のセリフを借りるなら…

「思い出は、月の光のようなもの。好きにしていい」

 …人は過去の記憶を簡単に美化・捏造(でつぞう)するもの、[回想]の若き日が美しくドラマチックで甘美なのは当然、また、美しくドラマチックで甘美であればあるほど、それがきれいサッパリ忘れられてしまっている現実の悲しさがきわだつのであった。

 また、シュガーコーティングされた回想のベースにはリアルな[階級意識]が貫かれています。

 アリーの母親は貧乏人に敵意を抱いており、大声で、「あの男は、屑よ! 屑よ! 屑よ!!(Trash! Trash! Trash!!)」と罵倒、それに対しアリー、「確かにあの人は、貧乏で無知・無教養だけど、いいところもあるのよ!」…って、全然弁護になってないし! 「やれやれ、これだから金持ちは…」と屋敷を去るノアの胸中を推し量り、私は笑いをかみ殺しつつ茫然と涙しました。

 ニック・カサベテスの作品にはいつも、[貧乏であることの苦労]がにじみ、そのへんはケン・ローチ的である、あるいは、アメリカ共産主義者・そのシンパ映画人(ダルトン・トランボとか?)の伝統を引き継いでいる、と思うのですけど、今回も全米ベストセラーの映画化ハリウッド大作でありながら、[階級差]を見つめるリアリズムはブレておらず見事でございます。

 さらに、[ご都合主義]ではありますが、客を引かせない演出が素晴らしい! とごちました。

 ネタバレですが、[ご都合主義]の最たるものは、アリーが別の金持ち男前といよいよ結婚してしまうのかー? というまさにその時、新聞に載った写真で、ノアの消息を知ってしまうところでしょうか。「んな、アホな!」とツッコミを入れた瞬間に見せる、アリーのリアクションにたまげました。アリーはバターン、キューっと気絶してしまう! なんというベタなリアクションでしょう。吉本新喜劇級と言ってもよい。ドン引きしそうな無理な展開に、[ボケの上塗り]をしてみせるニック・カサベテス最高! と一人ごちました。

 さらに、もの凄いのは、母親が自分の過去を語るシーンです。それまで母親はステレオタイプ的[貧乏人嫌いの富豪の奥様]だったのが、「実はそういう理由でノアを毛嫌いしていたのですね…」と納得させ、ダーン! とキャラが立つ瞬間です。

[悪役・憎まれ役]母親とも、[回想]の中では、ちゃんと心が通じ、和解できるのですね。その後、この物語はアリーの回想であったことが明らかになります。なるほど、アリーは[常にポジティヴで誰からも愛される娘]として描かれますが、[常にポジティヴで誰からも愛される娘]とは、このように、過去を徹底的に自分に都合のよいように美化できるものなのであろう、と大いに得心いたしました。話はご都合主義的ですが、それはアリーにとっても都合のいい話なのであります。

[アリーの裏切り]を知った婚約者・富豪の男前がもらす「ボクが取れる行動は三つある…」との臭いセリフも、「そんなヤツぁおらんやろ!」と思わせるほど“アリーにとって”都合のよいもので、私は呆れかえりつつも、「婚約者、なんちゅうええヤツや!」と茫然と感動しました。

 ともかく、リアリズム的にはブルジョア娘がホワイト・トラッシュと結ばれることはあり得ない、しかし、アメリカン・ブルジョア娘にとって世界とは、かくも自分に都合よく解釈・記憶されているものなのだ…、という別のリアリズムが浮き上がっているのであった。

 と、そんな私の邪推に満ちた見方はどうでもよくて、年老いたノアにジェームズ・ガーナー(TV『ロックフォードの事件メモ』、ブルース・リーと共演の『かわいい女』、最近では『スペース・カウボーイ』とか)がキャスティングされているだけで泣けてくるし、ラスト近く、ロマンチックな映画を一瞬で『こわれゆく女』(ジョン・カサベテス監督。名作中の名作!)に変貌させるジーナ・ローランズにも泣けてくるし、ロベール・フレース(『O嬢の物語』『愛人/ラ・マン』とか)の撮影も素晴らしく、ボートが川を進むオープニングの映像の美しさからして泣けて泣けてしょうがありませんでしたことでした。

『こわれゆく女』で映画が終わっておれば、信じられないくらい最高のアメリカ映画になったと思いますが、「甘ーーーーーい!」結末なのは、ハリウッド大作なのでいたしかたのないところでございましょうか。それでもバチグンのオススメ。

☆☆☆☆★(☆= 20 点・★= 5 点)

BABA
Original: 2005-Feb-28;