珈琲時光
“21 世紀の東京物語”が ここに誕生する――。ババーン! 『冬冬の夏休み』『憂鬱な楽園』など、台湾を代表する監督・侯孝賢(ほう しゃおしぇん)が、敬愛する小津安二郎・生誕 100 年を記念し、東京在住フリーライター女性の何気ない日常を切り取ったかのような 108 分。
「小津安二郎にオマージュを捧げる」とのことですが、『釣りバカ日誌 15』のようにあからさまなものでなく、そういわれてみればオマージュかな? みたいな感じです。
主人公が「×××」になろうとしているのが事件といえばいえるけれども、まったくといっていいほどたいした事件が起こらず、淡々とした日常が積み重なって「現代日本の家族」のたたずまいが浮かび上がってくる……といわれればそうかも知れませんが、ホントにただ日常がつづられているだけにも見え、何事も起こらない部屋のカーテンが茫然と映し出されるだけのカットもあったりして、物語としては、まったくもって普通なら映画にしないような話である、と一人ごちてしまいそうなところ、かといって退屈なわけではなく、ほぼ据えっぱなしのカメラがとらえる一青窈、浅野忠信が演じる…って、演技なのか素なのかよくわからない自然な表情、会話、あるいは計算されているのかたまたまなのかよくわからない、すれ違う電車の動きなどがたいそう気色よく、映画に必要なのはドラマチックなストーリーではないのですなぁ、と一人ごち、結局のところ、淡々と積み重なっていく日常こそが人間にとって大切なのですよね、というテーマが感じられ、やはり、小津安二郎的な映画でございました。と思います。
小津安二郎の映画では、色んな飲み屋さんとか食堂とか歌舞伎とか? に行くシーンが面白いのですけれど、この『珈琲時光』も昔ながらの雰囲気の、京都でいえばイノダコーヒーや六曜社みたいな、喫茶店のシーンがいくつかあって、あるいは浅野忠信の古本屋に、コーヒーの出前が届けられる、みたいな、実際に世間ではよくある光景ですけど映画で見せられると思わずハッとしてしまう風俗がちりばめられていて面白いです。
しかし、監督・侯孝賢、台湾の人なのに日本人が撮るよりよっぽどリアルな日本をとらえていて、それはやっぱり台湾人の気質が日本人に似ているからであろう。というのは適当ですが、ともかく外国人の監督が、見事に、日本人の「素」を映画にしてしまっていることに大いに驚き、侯孝賢の、人物・事象・物語を自然に撮る/見せる能力は、ほかには滅多にお目にかかれないものではないかしら? 侯孝賢に日本を舞台にした映画を撮らせることを思いついた人は偉いなぁ、とごちました。
「ヒネり病」に侵されたアメリカ映画を見なれた私は、この作品において、ほんっとに劇的なできごとが何も起こらないことに驚きつつ、退屈ではありますがそれは安心して画面をながめていられる心地よい退屈さ、この映画で描かれた一ヶの家族の日常には、何も起こっていないかのように見えても、ジッと目をこらして眺めていれば微妙な変化が感じられ、現実の人生もこういうものでございますからね、と侯孝賢のリアリズムに感銘を受け、映画館を出れば、いつもと同じ町並みもなんだか違って見えてくる、そんな作品でございます。侯孝賢は凄い!! オススメです。
☆☆☆★★(☆= 20 点・★= 5 点)