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 Movie Review 2004・11月3日(Wed.)

モンスター

 なぜ、愛を知ってしまったんだろう。ババーン! 『サイダー・ハウス・ルール』などのシャーリズ・セロンが、2002 年に死刑執行された連続殺人犯アイリーン・ウォーノスを演じる、実話にもとづくお話。

 まず冒頭、アイリーンの生い立ちがモノローグとともに手みじかに紹介されます。「子供のころずっと、自分はきっと、マリリン・モンローのようなスターになると思ってた」「きっと誰かがスカウトに来て、私を別の世界に連れて行ってくれるはず! ひょっとしてこの人?」…みたいな。

 当然のことながら現実は甘くなく、13 歳から売春を始めてすっかり中年、手元にはフェラチオでかせいだたった 5 ドルと、職業柄、護身のため必要なピストルが一丁、自殺してしまおうかしら? ……いや、この 5 ドルをつかわずに死んでたまるか! と手近なバーへ、そこはゲイ & レズビアン・バー、隣に寄ってきたセルビー(クリスティーナ・リッチ)と運命的な出会いを果たします。

 そこから、アイリーン・ウォーノス破滅の物語…というか、すでに破滅していたアイリーンの、さらに残酷な物語が語られていきます。

 アイリーン・ウォーノスはアメリカのマスコミで、「凶悪な、同じ人間とは思えない殺人鬼」という意味でしょうか、“モンスター”=怪物と呼ばれたそうです。確かに、6 人を殺し金品を奪った行為は、怪物的でありましょう。

 なぜそんな恐ろしいことができるのか? この作品の作者たちは、彼女に対し「精神異常」「精神病質」「モンスター」だったから、などという思考停止的なレッテルをはるのでなく、彼女がどのような気持ち・感情で罪を犯し続けたのか? それを、誰しもが共感できる(と思う)形で描きだします。「モンスター」という言葉も、この映画の中では、アイリーン・ウォーノスが子供の頃に乗りたくても乗れなかった巨大観覧車の名前にすり替わっております。

 人は、誰でも怪物的連続殺人犯になりうる可能性があるし、それは 80 年代アメリカ社会では容易なことだった…みたいな?

 ハリウッド・ビューティの代表シャーリズ・セロンが、体重 13.5 キロ増、メイクで不美人となり、しゃべり方から身のこなしまで実在したアイリーン・ウォーノスになりきっているのが象徴的です。漏れ聞いた話では、シャーリズ・セロンは少女時代に母親が、酒乱・父を射殺するのを目撃してしまうというヘヴィな過去を持つそうです。

 シャーリズ・セロンは運よくホワイト・トラッシュから脱しましたが、抜け出せずにとことん転落して連続殺人犯になってしまったのがアイリーン・ウォーノスであり、シャーリズ・セロンは、きっと、こう思ったのではないでしょうか? 「アイリーンの人生は、私が送ったかもしれない人生だ!」と。よくわかりませんが。

 美人女優が、わざわざ肉体改造・メイキャップでまるで別人を演じるのは、他の不美人女優のチャンスを奪うことではないか? あるいは、『めぐり逢う時間たち』ニコール・キッドマンがメイクで不美人を演じてアカデミー賞を取った故事にならって、シャーリズ・セロンも「アカデミー賞狙い」だったのかも? みたいな議論もありましょうが、シャーリズ・セロンの気合いの入り方は尋常でなく、もはや映画の演技を超えている! と私は一人ごちました。

 ハリウッド・ビューティが、最底辺の実在したホワイト・トラッシュを演じる、そのこと自体が批評的な行為ではないでしょうか。映画スターと、怪物との差は、たった体重 13.5 キロと歯並びと、そばかすでしかない……みたいな? グロテスクなメイクをほどこした自画像や、ブリジット・バルドオなどに扮したコスプレ写真を撮る写真家(『オフィス・キラー』の監督でもある)シンディ・シャーマンをちょっと思い出しました。

 それはともかくこの作品で見せる、シャーリズ・セロンの圧倒的な演技力というか、「共感能力」に茫然と感動し、人生がとことん悲痛なものでしかなかったアイリーン・ウォーノスの死を悼み、私はこうべを垂れるのみ。

 では、連続殺人者を弁護した映画か? というとそうでもなくて演出は実にクール、淡々とアイリーンのキャラクターに迫る演出、彼女の救いがたいアホさも冷酷に描いて、善悪の判断は観客にゆだねられている、と見えます。時として「悲痛なコメディ」の様相を呈する場面もあって、ヘタすると「社会が悪い」みたいな、紋切り型リベラル左翼映画におちいりそうなところを踏みとどまっております。監督・脚本は、これが長編デビューのパティ・ジェンキンス。

 個々のシーンが、両義的・多義的、というか、人によって見方が変わる感じなのがよいです。たとえば、この物語は、レズビアンカップルの「悲しい恋の物語」と見ることができますが、全編でもっともロマンチックなシーンは、ローラースケート場で、アイリーン「あら、この曲わたしも大好き! 踊ろうよ!!」と引っ込み思案セルビーを人目はばからずフロアに連れ出すシーンではないでしょうか。しかしその曲とは…80 年代の大ヒット曲、ジャーニーの『ドント・ストップ・ビリービング』だ! うううう。ノースリーヴ黒 T シャツで熱唱するスティーヴ・ペリーの姿が脳裏をちらつき、悲しく美しくロマンチックですけど、同時にこの世の終わりのようなダサさが漂います。…と、感じたのは、私だけ?

 また、もっとも悲惨なシーンは、アイリーン「あたしはカタギになるんだ! 何だってなれるんだ! アメリカ大統領にだって!」と、リクルートスーツに着替えてさっそうと自転車で会社訪問するシーン。

 あたしだって『エリン・ブロコビッチ』になれるはず! と思ったかどうかはわかりませんが、弁護士事務所の面接へ。

 面接官「……すると、あなたの言ってることをまとめると、弁護士になりたい、ということですか?」

 アイリーン「いやまあ、まずは秘書なんだけどね、あたし、なんだってできるんだよ、ローロデックスだって使えるしさ!」

 面接官「ビーチ・パーティでちゃらちゃら遊んでた女が、一生懸命勉強した人間と同じになれると思うな!!」

 …うーむ、悲しすぎる…と同時にとてつもなく滑稽、少し視点を変えれば一級のコメディであります。悲劇と喜劇、どちらとも取りうる微妙なさじ加減が絶妙でございます。

 それはともかく、共演のクリスティーナ・リッチ、せっかく『ギャザリング』で激ヤセぶりを披露したばかりなのに、この『モンスター』では、役作りでまた体重を増やしたとか。…シャーリズ・セロンの 13.5 キロにかすんでしまった隠れた努力でした。いや、そんなことはどうでもよくて、クリスティーナ・リッチの受けの演技あったればこそシャーリズの熱演が生き、ブルース・ダーンもよい感じで、『帰郷』(1978 年)で演じたベトナム帰還兵のその後かと思いました。

 ちなみに、IMDb の「Trivia for Monster」によると、この作品で「fuck」という言葉は、189 回使われたとか。いやそんなことはどうでもよくて、シャーリズ・セロンがアカデミー主演女優賞を取った 2 月 29 日はアイリーン・ウォーノスの誕生日だったそうです。不思議な因縁というべきでしょうか。いや、どうでもいいトリヴィアでした。

 楽しい映画ではないし、では圧倒的な悲劇にボロボロ泣いてカタルシスが得られるかというとそうでもなく、実に複雑な、中途半端な気分にさせてくれる作品でございます。根本敬のマンガが好きな方にはバチグンのオススメ。

☆☆☆★★★(☆= 20 点・★= 5 点)

BABA Original: 2004-Nov-2