死ぬまでにしたい
10のこと
英語題“My life without me”――私抜きの私の人生…とはよくわかりませんが、近頃には珍しく日本語題名の方が内容にピッタリ、というか、夜勤掃除婦アンさん(23)は、余命 2 ヵ月を宣告され、「死ぬまでにしたい/しなければならない 10 のこと」をリストアップ、家族に内緒で粛々と実行していく、という題名そのまんまの作品でございます。
さてその「10 のこと」、若干ネタバレですがポスターにも書かれてますので良いとして、紹介しますと、
- 娘たちに毎日数回「愛してる」と言う
- 旦那に、娘たちも気に入る新しい嫁を見つける
- 娘たちが 18 歳になるまで毎年贈る誕生日のメッセージを録音する
- みんなでホエール・ビーチに行って大規模ピクニックをする
- 好きなだけ、お酒と煙草をたしなむ
- 思っていることを話す
- 旦那以外の男性とセックスしてみる
- 誰かを自分に恋に落とさせる
- 刑務所にいる父親に会いに行く
- つけ爪をゲットする(髪の毛も似たようなことをする)
…と、そのあまりにも慎ましい「To Do リスト」に、私は呆然と涙したのでした。
死期が迫った人間の行動を描く作品として、まず黒澤明の名作『生きる』が想起されますが、『生きる』主人公・市民課課長・渡辺勘治(志村喬)の場合、死が間近であるを知り「自分が生きていなかった」ことを悟ります。ジタバタした後、憤然と「生きる!」と決意、猛然と善なる行為に突き進みます。
一方、イザベル・コヘット監督描く掃除婦アンは、「家族の幸福」こそが生きる証ととっくに了解しており、自分の死が、家族の負担にならないよう腐心するのであった。波風が極力立たないように、波風が立ったとしても家族とは無関係のところで、と、アンはジタバタせずに愛と死を見つめます。ライフスタイルを激変させ、ダイナミックな行動に出た渡辺勘治とは好対照をなしておりますね。
もちろん、渡辺勘治は家族をすでに失っており、一方アンは家族がすべて、という違いはありますが、渡辺勘治とアンの行動の違いは、安定した収入の得られる公務員と、貧乏白人という境遇の違いによるのものではないか? と、ふと考えました。
アンは、トレーラーハウスに住み、旦那はどうやら失業しがち、父は刑務所、昔は美人だったであろう母(デボラ・ハリーだったりします)は愚痴ばかり、カナダにあっては典型的なプア・ホワイトなのでありましょう。17 歳で子供が出来ちゃってトレーラーハウス住まい、アンの短い人生は、あきらめ続けの人生、いざ死ぬとなって「10 のこと」を書き出しても慎ましい望みしか思いつかず、「浮気」だけが人生最高の冒険であったとは、悲し過ぎると思わないでもないですが、貧乏人にとって実現可能な望みとはそんなものなのですね、いやいや、「日常の家族の幸福」こそが至上のものであり、貧乏人だからこそ卒然とそれに気づくことができたのである、と、イザベル・コヘット監督はプア・ホワイトの確かな小さな幸福に共感を寄せるのであった。ってよくわかりません。
手持ちカメラを多用、貧乏人の日常を淡々と、ドキュメンタリータッチでクールにとらえ、ともすれば暗くなりそうな話、あるいは号泣必至の話ですけど、「ここで泣いてください」みたいな判りやすさはなくて後味爽やか、しかし見終わった後、色々考えさせられて思い出したら涙がこぼれちゃった、みたいな感じ、『スウィート・ヒアアフター』の生き残り少女サラ・ポーリー、すっかり大きくなってバチグンの好演にてオススメです。
☆☆☆★★(☆= 20 点・★= 5 点)
BABA Original: 2003-nov-19;