めぐりあう
時間たち
傑作『リトル・ダンサー』のスティーヴン・ダルドリー監督最新作。と、いうことで、『リトル・ダンサー』の感動よ再び! などということを期待するとガックリ来るかもしれない、よくわからない作品でございます。
- 1923 年ロンドン郊外:『ダロウェイ夫人』執筆中のヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)。
- 1951 年ロサンジェルス:妊娠中の主婦ローラ(ジュリアン・ムーア)。
- 2001 年ニューヨーク:ある作家の文学賞受賞パーティを開こうとする編集者クラリッサ(メリル・ストリープ)。
3 つの時代の 3 人の女性の、一日の出来事を、往来しつつ描きます。それぞれは、たった一日ですけれども、彼女たちの人生が凝縮された一日となるのであった。ババーン!
ネタバレですが、彼女たちは、まず、レズビアンであるという共通点があります。また、V ・ウルフと、主婦ジュリアン・ムーアは、「今、自分がいる場所は、本来自分がいるべき場所ではない」と感じている。V ・ウルフはどうやら自殺未遂を繰り返しており、ジュリアン・ムーアも自殺衝動にかられている。彼女たちは「自分は、生きていない」と感じています。
ダルドリー前作『リトル・ダンサー』主人公ビリー・エリオットも、自分がいるべき場所は炭鉱町ではないと知り、他所へと飛び出して行く。ビリー・エリオットのように成功するケースは稀であり、今度は、その他大半の、人生を台無しにしてしまう人びとに焦点を当てたのが『めぐりあう時間たち』、ということなのかも知れません。
そう見れば、3 人の女性の生き方は、時代とともに変化を示しています。1923 年 V ・ウルフは自殺という選択肢しか取り得なかったのが、1951 年ジュリアン・ムーアはともかく(罪深くとも)人生を生き抜くことができる。2001 年メリル・ストリープは、人工授精で娘(クレア・デーンズ)を設け、AIDS 患者をケアできるほどに心の豊かさを得ている、と。
ところが、3 つのパートを、ちょこまかと小出しに、例えば花を花瓶に生ける動作をキーにしてカットバックする(バックには、フィリップ・グラスの音楽が流れ続ける)、という華麗なテクニックで綴っておられ、よくわからなくなっているのですよ。良くできていると思うのですけど、「それで?」というか、ざっくり年代順にオムニバスとして描いた方が、なんぼかわかりよい作品になったと思うのです。「少しづつ、レズビアンが住みやすい世の中になっていく」という、楽天的な進歩史観を見せるのが本意ではない、ということなのかも知れませんが。うーむ。
剛速球ストレートな『リトル・ダンサー』に比べ、ヒネってしまって、なんだか後味が悪いと申しましょうか、ラストの V ・ウルフの自殺も、結局のところ、身勝手なものに見えて仕方がない、というか。
いかにも、典型的 MIRAMAX 流ハリウッド映画って感じで、スティーヴン・ダルドリーはハリウッドで雇われ監督なんかするな! とご意見申し上げたいのでした。エド・ハリスやジョン・C ・ライリー(『シカゴ』に続き、阿呆な亭主役を好演)など、無闇に豪華なキャストですし、V ・ウルフ『ダロウェイ夫人』を読んでると、もの凄く面白いかも知れません。『マグノリア』とか『ハピネス』が好きな方もオッケーかも。オススメ。
☆☆☆★(☆= 20 点・★= 5 点)
BABA Original: 2003-May-28;