京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

Home > Reviews > 03 > 0523
 Movie Review 2003・5月23日(FRI.)

あずみ

 小山ゆうの人気漫画を堂々映画化。原作は、少女にして刺客であるあずみが、サディスティックに虐められつつ、圧倒的な剣技でバッタバッタと人を殺しまくる痛快(かもしれない)漫画で、エロス+虐殺が好きな私は愛読しております。

 して、映画を見てはたと気が付いたのは、『あずみ』と『殺し屋 1』は同じ話ではないか? ということであります。殺し屋 1 同様、あずみも、「老人」のマインドコントロール下にある最高の刺客であり、今回あずみを迎え撃つ美女丸は「生きていることに何の意味があるのよ?」とうそぶきつつ、倒錯(ここではサディズム)に喜びを感じる男であり、「最高の刺客」が目の前に現れるのをワクワク待つ。あずみがエキストラ約 100 名をバッタバッタと殺しまくる光景を目にして、美女丸は「凄いよ、凄いよ! あの子凄いよ!」と大喜び、まさしく「俺、自分が恐いよ」とつぶやいた垣原(浅野忠信)とオーヴァーラップするのであった。

 すなわち、『あずみ』において、主人公は、何が正義であるかを見極められないまま、というか、人生が無意味である地平での物語なので、正義も存在しない。義に命を捧げることもできず、瞬間の命のやり取りにのみ生きてあることの証を見出す物語、それが『あずみ』であり、『殺し屋 1』なのであった。つまり、少女刺客あずみが、マインドコントロールを脱し、正義のために戦う、なんていうビルドゥングスロマン(何?)のような展開は無理な話なのであります。一大殺戮ショーを展開させる監督:北村龍平+製作:山本又一朗の戦略は、この意味では正解。

 となると、『殺し屋 1』の映画化がそうであったように、殺人シーンは残酷すぎて大笑いしちゃうくらいでなければならず、サディズムも目をそむけたくなるほどにしつこいものでなければなりません。でないと「人生の無意味さ」が立ち上がってこない。しかるに、『あずみ』が「PG12」(12 才未満はなるべく保護者が同伴)という規制にとどまったのは誠に遺憾、もっと CG や特殊メイクをバンバン使って、例えば加藤清正の斬殺は、真っ二つにされた身体がズルズルとズレていく、とか、あずみの 100 人斬りは、『ゴーストシップ』のオープニングを参考にすべきである、とか。

 て、いうか、まともなアクションシーンが撮れる監督は絶滅寸前なので、映画の大半を占めるアクションが、てんで盛り上がらないのはいたしかたないですけど、もうちょっとなんとかしていただきたいところです。とはいえ、あずみ VS 美女丸の一騎打ちの周囲を半径約 5 m 、360 度回転するカメラで撮ったシーンはなかなか気色よろしいです。が、意味ないかも。

 ですけれども、オダギリジョー演じる美女丸がバチグンであり、また、遠藤憲一ら悪役がなかなか素晴らしく、こういう風に悪役のキャラが立つと、2 時間 20 分になんなんとする上映時間も何とか寝ずに乗り切れるのでした。

 あずみの、面白味のない刺客仲間や、ジジイが死んじゃったので、『あずみ 2』 は面白くなること必至ですが、まずは三池崇監督で 18 禁『美女丸 1』を製作していただきたい、と思う今日この頃。余裕のある方にオススメ。

☆☆☆(☆= 20 点・★= 5 点)

BABA Original: 2003-May-23;

レビュー目次