キャッチ・ミー・
イフ・ユー・
キャン
“Catch me if you can”とは、イタリアの著名デザイナー、ベルサーチを射殺した連続殺人犯が、別の殺人現場に残したメッセージだった…という話は全然関係なく、スピルバーグ監督、デカプリオとトム・ハンクス夢の共演作、どう考えてもつまんなさそうなのですが、これが意外に楽しめました。
時あたかもアメリカが「逆らうものはすべて潰す」とイラク空爆を開始した頃に鑑賞に臨み、アメリカも無茶な国になってきたなぁ、かつてドイツ娯楽映画が、いかにナチス台頭を準備したかを論じた『カリガリからヒットラーへ』(ジークフリート・クラカウアー著、買ったけどまだ読んでません)にならい、アメリカ娯楽映画がいかにブッシュ政権を準備したかを論じる本が登場するなら、『インディ・ジョーンズからブッシュへ』みたいなタイトルになるのかしらん、と一人ごちました。
そんなことはどうでもよく、デカプリオ演じるは、実在した詐欺師。咄嗟に、教師、パイロット、医師などに成りすます才能の持ち主、小切手偽造でウハウハ、美女を侍らせてどうこう、追うは FBI 捜査官トム・ハンクス、丁々発止の逃走/追跡劇…となれば面白くなりそうですけど、オープニングタイトルもそういう感じなんですけどね、しかし、『A.I.』『マイノリティ・リポート』でも感じたのですが、本来 B 級センス――お金はないが、頭で勝負――で映画化すべき作品を、重いヒューマンドラマにしてしまう演出が鈍重、デカプリオも、両親の離婚でトラウマを追い、父性にあこがれ、その裏返しで教師、パイロット、医師など「父性」的職業に成りすます、みたいな、どうでもいい話になっております。
が、実はどうでもよくないのは、父性を求め続けたデカプリオは、あろうことか、FBI 捜査官トム・ハンクスに父性を見出し、FBI に協力することになる。つまり、家庭での父性の喪失は、息子に反社会性を与えるが、国家権力が父親的にふるまえば、反社会的人間も、たやすく権力に父性を見出し、国家意志にとりこまれてしまう、という「父性の喪失」の危険性を暴いているのである。母子家庭に育ったスピルバーグは、常に「失われた父性」を描いて、「強いアメリカ」に迎合する大衆を生み出し続けてきたと言えよう。
そんな適当な話はどうでもよく、イラクから遠く離れて、めめしい詐欺師の物語を見ることの不思議をかみしめた夜でした。スピルバーグはすっかり政治映画に夢中ですが、『激突!』『続激突! カージャック』『JAWS』の頃が懐かしいです。
☆★★(☆= 20 点・★= 5 点)
BABA Original: 2003-May-2;