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 Movie Review 2003・12月12日(FRI.)

サンダーパンツ!

 少年パトリックは、幼き頃より屁をこき過ぎて家庭崩壊、小学校ではいじめられる日々。友人といえば鼻づまりのアランのみ、このアラン、理科系天才少年、パトリックのため「屁が漏れない不思議なパンツ」を発明、名付けて「サンダーパンツ」! さあパトリック君、誰に気兼ねすることなく屁をこきたまへ! やがて、サンダーパンツは 2 、3 とヴァージョンアップしていくのであった。ババーン!

 と、お話だけ聞けば、こりゃ映画史に残る傑作に違いない! 全編、放屁シーンが彩り『ナッティー・プロフェッサー』級の腹抱える大爆笑必至! ……かと思いきや、意外に真面目な作品なのでした。と、言いますのも、「屁をこきまくる」という欠点も世の役に立つこともあるのです、「欠点」を「美点」ととらえ直そう!――「いじめられっ子少年少女を元気づけたい」との崇高かつロマンチックな製作意図があると思うのですけど、パトリック少年が欠点を克服するのは、ネタバレですが、たまたま友人アランが天才発明家で宇宙開発にスカウトされ、そのコネで宇宙飛行士になれたから、…という特殊的ケースなのです。例えばパトリック同様、「屁をこく」弱点に悩む少年がこの作品を見て励まされるか? といえば、「どうせ、ボク、友達に天才なんていないし、フン!」、と、ひねくれてしまうのではないかしら? と危惧するのです。

 と、いうか、そもそも屁は「出物はれ物ところ構わず」、出したいときに出なくて、出さなくていいときに出るもの、そういう人間のコントロールを越えた存在、「少年少女を元気づける」みたいなロマンチックな意図とは相容れぬところに存在価値があり、というか、真剣な話をしているときに「プッ」とひって薄っぺらい真剣さを破壊する存在、リアリズムの存在なんですね。ロマンチックなテーマを、屁をもって描こうというのは、屁に対する冒涜であります。屁を馬鹿にするな! って、屁ごときで何を熱くなっているのかよくわかりませんが、パトリック少年の憂鬱、それは「屁に耐えかねて父親家出」「姉は口もきいてくれぬ」「クラス中が屁に閉口」など、面白おかしくしようと大げさにしているのでしょうが、あまりにも可哀想過ぎる! パトリックは「胃が二つある」という設定で、これをゲラゲラ笑うのは勇気がいります。この辺の陰鬱さはさすがイギリス映画、何となく『オリヴァー・ツイスト』ディケンズ風ですね。ってよく知りませんが。

 ともかく、「宇宙飛行士」とは、ただ屁を外に漏らさない装置が巨大になっただけ、問題は何も解決していないのでは?(パトリックのシニカルな姉は、それに気づいている)

 すったもんだの末に世間の屁に対する価値転換が成され、パトリックを、自分と同じ人間として周囲が受け入れる、例えばクラスが静まりかえっている中、パトリックがブゥッと屁をこく、「まつたくパトリツクの屁は臭いなあ、よし僕・私も屁をひるぞ!」とクラス中が笑いに包まれ、先生だけが顔をしかめる……こういうのが望まれるラストシーンでございましょう。って偽善的ですが。

 やはり、映画における屁は『ナッティー・プロフェッサー』『クレヨンしんちゃん』、あるいは小津安二郎『お早う』のように、プゥとひってハハと単純に笑えないとダメだ、と私は一人ごちたのでした。

 とはいえ、ブビビビビビッ! と思いっきり屁をこいて周囲の空気が歪んだり、サンダーパンツ 3 のテストでブバーーーッ! とジェット噴射が吹き出すカットなど、衝撃的に笑える映像がいくつかあったり、パトリックとアランの挨拶が超かわいいのでオススメです。

☆☆★★★(☆= 20 点・★= 5 点)

BABA Original: 2003-Dec-10;

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