クイルズ
マルキ・ド・サドのシャラントン精神病院での晩年を、虚実取り混ぜフィリップ・カウフマン監督(『存在の絶えられない軽さ』など)が描きます。ダグ・ライト(誰?)の戯曲が原作だそうで。
サド侯爵(『シャイン』などのジェフリー・ラッシュ)は精神病院に監禁されつつ執筆を続け、秘密出版で大いにパリッ子の人気を博しているのですが、内容はエロ満載・反権力・反権威・反教会にて、国王の逆鱗に触れます。国王曰く「サド侯爵をギロチンにかけるのは容易いが、それでは自分が暴君の汚名を着せられてしまう。それより“治療”した方がよかろう」、その命を受け、精神病院の院長として送り込まれるのが冷酷無比・ムッツリ助平のマイケル・ケイン。弾圧を受けながらもサド侯爵は断固として執筆を続け、権力を嘲笑し続け…というお話し。タイトルの“Qills”とは、羽ペンのこと。物語を書かずには生きていけない作家魂(Soul)の象徴です。複数形になっているのが味噌ですね。
と、話は猛烈に面白そうですし、サド侯爵 VS 院長の対決を軸に、狭間で揺れ動く人道主義神父ホアキン・フェニックス、洗濯女ケイト・ウィンスレットのキャラ立ちも見事、実際メチャ面白いのですが、普段ワイドショーなどで鬼畜なニュースが流される現代に於いてはサド侯爵が普通の人にしか見えず、全然不穏でないのが物足りないのも事実。18 世紀の精神病院の様子も、こんなにノンビリしてていいのかなー、とか。
そんなことはどうでもよくて、サド侯爵と院長の対決は、現代のエスカレートする性・暴力描写と、それを規制する動きに対応しています。作家は自らの心の命ずるままに表現を行い、労働者階級は諸手を挙げて刺激的な物語を支持し、権力者は規制・検閲しようとする。間で右往左往するのがインテリ/ヒューマニスト/リベラリストという図式ですね。
不穏な物語が人々を刺激して犯罪が起こったらどうするのだ? というのが権力者の言い分で、実際この映画でも物語を模倣した悲劇(喜劇?)が起こるのですが、いかなる弾圧を加えられようとも作家は遠慮会釈なく表現を続けます。物語は人々の口から口へと伝えられ、たまに現実化してしまうこともありますが、語られるべき物語は徹底的に語られねばならぬのだ、というか、一旦頭に浮かんでしまった物語は、作家本人にも制御不可能、外部に向かってヒネリ出さざるを得ない、というか。この圧倒的な物書きの宿命に私は呆然と感動したのでした。ここで一句。文学は 作家がひり出す ウンコなり。
ジェフリー・ラッシュのサド侯爵は、「ふーん、こんな感じだったのかもネー」って印象ですが、オパール店主が見れば「こんなヤツはサド侯爵では断じてあり得ない!」と激怒すること必至かも。ともかく R15 指定の割にはエロ度、ラジカル度に欠けるのですが、戯曲の映画化らしく骨格がはっきりした作品にてどなた様もお楽しみいただける逸品です。セシル・B ・ディメンテッド的には、キチガイ描写が生ぬるい! 本物を出して来んかい! 死姦も、本物を使え! なんでサド侯爵が英語しゃべってんねん、ボケ! …ってなところでしょうか。カップル、ご家族連れにオススメです。
BABA Original: 2001-Jun-27;