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Theater Review 2000・7月9日(SUN.)

連獅子

 古典と思われがちだが、明治生まれの半古典舞踊作品。実の親子が演じた時、芸の継承の厳しさを観客がオーバーラップして感じることができる、秀作中の秀作。

 さて、今回見た作品は 7 月の道頓堀松竹座、夜の部の『連獅子』です。この作品後半部の長い髪の毛をくるくる回すシーンはあまりにも有名で、「歌舞伎って、髪の毛回すやつでしょ?」などというちょっと間違った知識を植え付けれるぐらいインパクト大な作品です。

 この作品は結構最近作られたもので、明治 5 年初演で現在の形になったのは同 34 年です。明治から大正にかけて新しい作品を作る運動が活発になり、その中に「松葉目物」というジャンルが登場、いわいる能・狂言作品を歌舞伎形式で上演しようという試みでした。

『連獅子』は能の『石橋(しゃっきょう)』を歌舞伎風にアレンジしたものです。主人公は狂言師右近・後に親獅子の精と狂言師左近・後に仔獅子の精の 2 人です。今回は中村勘九郎・勘太郎の親子で演じられました。皆さんがよくご存知なのは後半パート(くるくる回すやつ)です。前半パートは 2 人の狂言師が厳かに登場し、霊獣の獅子が住むとされる霊峰・清涼山(中国)の説明や仔獅子を谷に突き落とす獅子社会の教育方針などを舞で表現わけです。厳しい教育方針について踊っている時、勘九郎・勘太郎親子のカブキ修行とそれとを重ね合わせてみると、言葉で言うのは難しいですが、ある種の感動があるように思われます。

 後半に突入する前に間狂言(あいきょうげん)といって、『宗論』が出ます。『宗論』とは日蓮宗と時宗の 2 人の僧が登場し教義上の論争を面白く踊りでみせます。筋には直接関係はないですが、衣装や化粧を変えるための時間稼ぎのためでもあるのです。その後厳かに後シテの獅子の親子の登場です。この場は誰が見ていても沸いてしまいます。毛の振り方にもいろんな種類があって「菖蒲打ち」「巴打ち」など 3 〜 4 種ばかしあったと思います。見る機会があったらぜひチェックしてみましょう。

 主人公の着替えのための時間を稼ぐためにも、間狂言は必要不可欠なものではありますが、お題目とお念仏のバトルをテーマにした『宗論』はやはり、現代人・若者には受けません。もっといえば面白みに欠けるのではとつくづく思います。

「結婚式の時に頂くお菓子は上品だが、決して美味く無い。」(六代目尾上菊五郎談)。上品さや伝統を重んじ、ルールにルールを重ねすぎたゆえに、内容の質が落ちてしまったと僕なりに考察してます。内容の悪さや粗悪さを、役者でカバーするのはいかが?

 振りよし、曲よし、役者よし! 「21 世紀に残したいカブキ演目ランキング」があったら間違いなく上位に食い込む作品。役者がよかったからなおのことよしでした。間狂言だけがね〜‥まずかった(ヒトリゴト)

akira28:web site「28web」 Original: 2000-Jul-09;

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