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 Diary 2004・5月7日(FRI.)

キル・ビル Vol. 2

公式サイト: http://www.killbill.jp/

 MOVIX にて『キル・ビル Vol. 2』を観る。賛否両論かしましい映画であるが、いや『Vol. 1』の時も毀誉褒貶激しかつたのだが、今回は『Vol. 1』に肯定的であつた人が否定的であつたり、またその逆であつたりと、よけい色々と評価は錯綜してゐるやうなのだけれど、私は、まァ、オッケーでした。

 確かに、『Vol. 1』の時のやうに圧倒的な高揚感が続く、といふ事はなかつたけれど、それはそれ、これはこれとして、『Vol. 2』はいつものタランティーノ節全開で、十分に楽しめたのであつた。『Vol. 1』では、意図的に様々な要素をぶち込み、攪乱して、自らのスタイルを強引に壊してゐる印象があつて、それがまた凄かつたのだが、『Vol. 2』では一転していつものスタイルにビシッと貫かれてゐる。一見ストーリーと関係ないやうな会話と、突発的なアクション。過剰にスタイリッシュな映像と音楽。全編に微かに通底する哀切な情緒。印象としては『ジャッキー・ブラウン』に近い。

 本来ならば、この『Vol. 2』の方が『キル・ビル』の本編で、『Vol. 1』は『Vol. 2』のリミックスバージョン、といつた感じだ。まァ、リミックスバージョンの方がオリジナルバージョンより面白い、といふ事は往々にしてあるのですが。

 さて、『Vol. 1』の時は私以上に評価してゐた様子のババさんが、『Vol. 2』に関しては否定的な評価を下してゐる。レビューを読むと、なるほど分かる所もあり、分からない所もあり、といつた感じだが、ラストがあれでいいのか、といふババさんの意見に関しては、実は私も同様のことを思つたのである。なんとなく、不可解で、納得のいかない、気持ちが悪い感じ。しかし、観終はつてからツラツラ考へてみるに、私の持つこの感情は、私が男性である、といふ事に由来するのではないか、と思つた。それはどういふ事か。

 まづ、『キル・ビル』とは、殺し屋の世界を描いたものである。だから、この映画の中では、悪い奴ほど偉い、といふ事になる。それは、香港カンフー映画では伝統的に悪役であるパイ・メイが、みなの師匠である事からも明らかだらう。では、誰が一番悪いのか。一見したところ、それはエル・ドライバー(ダリル・ハンナ)であるやうに思へる。あるいは、殺し屋集団のボスであり、全ての事件・悲劇の発端であるビル(デヴィッド・キャラダイン)か。いや、違ふ。何故なら、エルにはビルに対する愛があり、ビルにはザ・ブライド(ユマ・サーマン)に対する愛があるからだ。他人を愛せるものは、真の悪人とは言へない。この映画における最強・最大の悪人は、言ふまでもなく、ザ・ブライドである。彼女が一番愛してゐるもの、それは自分である。少し詳しく言ふと、自分の分身であるところの娘である。この娘=自分のために、彼女はビルを裏切り、自分の邪魔になる人々を皆殺しする。自分の幸せのためなら、全ての他人を犠牲にする。彼女こそ、完全無欠・冷酷無比の大悪人なのだ。

 ザ・ブライドも、妊娠する前は、自分はビルを愛してゐると思つてゐた。しかし、それは自己愛に過ぎなかつたのだ。妊娠して、子供(分身)ができる事になり、自分自身を対象化できるやうになると、自らの自己愛の強さに気付いてしまつた。彼女は、自分だけしか愛せない。その瞬間から、この『キル・ビル』といふピカレスクロマンは始まる。

 他人に対する愛を一切持たない悪人、といふのなら分かりやすい。が、ザ・ブライドの場合、一見他人に思へる娘を愛してゐるのでややこしいのだ。しかし、本質は同じなので、そこを理解しないといけない。いけないのだが、自分の娘を自分の分身と考へて自己愛を投影する、その女性の心理が、私にはどうにも居心地が悪い。とはいへ、そんな私の男性ゆゑの限界とは関係なく、彼女は紛れもなく一級のピカレスクヒロインなのであつた。

 それにしても、エル・ドライバーとザ・ブライドの闘ひは凄かつた。ダリル・ハンナ格好良すぎ! 是非、彼女を主役にして『Vol. 3』を作つてほしいものです。

小川顕太郎 Original: 2004-May-9;