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 Diary 2004・1月7日 (TUE.)

台湾日記
三日目


その壱 故宮博物院

 朝起きると、左肩から首筋にかけてがもの凄く痛かつた。昨日の全身マッサージが悪かつたのだらうか。この日の私は、まるで蔡明亮(ツァイ・ミン・リャン)監督の『河』の主人公のやうに、首を傾けて行動することになつてしまつた。ううむ、サウナには行かないやうにせねば。

 本日の第一目標は故宮博物院。国民党が共産党に破れ、台湾に逃げてくる時に、北京の故宮博物院からゴッソリ持つて来たお宝が収蔵されてゐるのが、ここだ。ある意味、シナ文化の精華はここに集められてゐる、と言つても過言ではない、さうだ。私が今回の台湾旅行で最も楽しみにしてゐたのが、ここである。朝も早くから目が覚め、トモコを促して早いうちにホテルを出た。

 故宮博物院はとにかく広く、あまりにたくさんの素晴らしいものが展示されてゐるので、漫然とみてゐれば途中で疲れてダウンしてしまうことになる。だから何か見たいものを絞つた方がいい、といふアドバイスを私は本から受けてゐた。なるほど。が、私はすでに見たいものは絞つてあるのだ。書画の名品。まづ、それさへ見られればいい。特に書では王羲之の『快雪時晴帖』と黄庭堅の『松風閣詩巻』、絵では范寛の『谿山行旅図』と郭煕の『早春図』。この四つさへ見られれば、それで満足だ。私は期待に胸がはちきれさうになつて、入り口のところで SARS 検査のため温度を計られたりする間も気もそぞろ、書画のある階に真ッ先に駆けつけた。

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その弐 茫然

 上海博物館に較べれば、かなり垢抜けない館内をグルリと回る。なかなか良い書が並んでゐるのだが、どうしても気持ちは上記の 4 点にあるので、足が早足になる。書を観て、絵を観て、そして、気が付くと、元の場所に戻つてゐた。あれ? おかしいな。もう一度、グルリと回る。やはり、元の場所に戻つてゐる。今度は駆け足で館内を走り回つてみた。ない、ない、ない! 何にもないぞ、お目当てのものが! 私は茫然とした。どうしても事態が飲み込めない私は、ガイドブックを買つてみた。すると、やはりそこには上記の 4 点が、これぞ我が故宮博物院を代表する文物! てな感じで、バーンと載つてゐる。さうだよなァ。私は、係の人にきいてみた。「アー、コレ、イマデテナイ」、さう言はれた。う、嘘だろー! 私の曲がつてゐた首が思はず真ッ直ぐ伸びた。

 後から聞いたのだが、これら 4 点は、滅多に展示されないのださうだ。なんでや! これらの作品は、ルーブル美術館における『モナリザ』みたいなものと違ふのか。これらを目当てに、世界中から人が集まるんぢやないのか。常時展示しておけよ、どれかひとつぐらゐ! …さういへば、『翠玉白菜』といふ白菜の形をした玉があるのだが、これは只今高雄の美術館に貸し出し中です、といふ貼り紙がベタベタしてあつた。なるほど、ここの『モナリザ』は白菜なのか。確かに、一般的には台湾の故宮博物院と言へば、この白菜かもしれない。しかし、なァ…。私は完全に自失してしまつた。

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その参 至善園

 完全に気が抜けてしまつた私は、その後のことはあまり覚えてゐない。後から思ひ返すと、他にも凄いものが色々とあつたのだ。玉や珍玩彫刻などは、消沈してゐる私のこころを一気に沸き立たせるほどのものが何点かあつた。が、それでも、全体の印象の悪さは拭いきれない。重い足取りと曲がつた首で、そこを出た。

 広場には法輪巧の人たちが、3 〜 4 人で座り込みをしてゐた。その横を通りすぎて、我々は「至善園」といふ所に入つていつた。ここは、まァ、庭園なのだけれど、「松風閣」や「蘭亭」などを模した建物が建ち、庭自体も古代園林を模したもので、シナの文人が理想とした生活とはどのやうなものであつたのか、が分かるやうにしてある、といふのだ。黄庭堅や王羲之の書をみることができなかつた私は、つい「松風閣」「蘭亭」といふ名前に惹かれてフラフラと入つてしまつた。そして、そのチープさに、身体の芯から脱力してしまつたのだ。……お腹も空いたことだし、と、トモコに促されて、我々はタクシーに乗つて駅前まで帰つた。

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その四 牛骨麺

 とにかくお腹が空いたので、駅前まで戻つて、バラックのやうな所でご飯を食べる。台湾には、屋台といふよりバラック、といつた店が多い。そこで食したのは牛骨麺。うまい! のか? もう、なんだか良く分からない。とにかく排気ガスがふんだんに入つてくるし、店も汚い。が、それほど気にならない。旅行モードでギアが切り替はつてゐるのだらう。

 そのまま街を散策する。大通りを歩いてゐると、まるで日本にゐるやうな錯覚に襲はれる。それほど、違和感がない。ただ、やたらバイクの数が多くて、飛ばしてゐるのが異様なだけだ。少し、横道に入る。と、これは昔の、といふか、私が小さい頃にウロウロした下町の風景によく似てゐる。喫茶店に入り、コーヒーを注文する。まずい。とても飲みきれず、残してしまつた。台湾滞在中に、何店か喫茶店に入つたけれど、どこもコーヒーはまずかつた。しかし、まァ、これはちやんとしたコーヒー専門店にでも行かない限り日本でも同じか。

「魚楽居」といふ店に行く。洒落た雑貨を扱ふ店で、情報誌にも載つてゐたところだ。上海にでもありさうな感じ。ここでお土産をいささか購入。

 いつたんホテルに帰る。

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その五 檳榔

 昨日購入した檳榔を噛んでみる。これは木の実のやうなもので、噛むと幻覚作用があると言はれてゐる。ガムのやうに噛んでゐるとそのうち口の中が真ッ赤になつて、最後にはその赤い唾液をはき出すのださうだ。この檳榔の話は、司馬遼太郎『台湾紀行』にも小林よしのり『台湾論』にも載つてゐるが、それらから察することができるのは、これはどうやらもともと台湾原住民の風習だつたやうで、外から来た外省人は「下品」と言つて嫌つてゐるやうだ。まァ、外省人に限らず、本省人でも生活レベルが高くて近代化してゐる人たちは嫌つてゐるやうではあるが。昔はよくこの檳榔の噛み後の赤い汁が道路上にあつたさうだが、最近では減つた、と言ふ。とはいへ、「檳榔」といふ看板を出した店はほんとうによく見掛ける。街中の至るところにある、といつた感じだ。ミオさんに檳榔に関するコメントを求めると、「よく噛んでゐる人たちは、頭が少しおかしくなつてゐる感じ」とのこと。率直なコメントありがたうございました。で、私も挑戦。…苦!…ダメだ。すぐにはき出してしまう。考へてみれば、私はガムもダメなんだつた。いつまでも同じものを口の中で噛み続けてゐるのに耐へられないのだ。残念。

 昼寝、といふか夕寝をする。

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その六 金鶏園

 夜はまたしてもミオさんと待ち合はせ、ミオさんオススメの店に連れて行つて貰ふ。初日にミオさんと会つた時に、「『鼎泰豊』とか行く予定あるんですか?」ときかれた。『鼎泰豊』は、多分最も有名な飲茶屋さん。1993 年のニューヨークタイムスで世界 10 大料理店に選ばれたといふくらゐだ。どの情報誌にも、オススメ店として載つてゐる。が、(私の読んだ範囲で)唯一の例外が、台湾人が著者である「すつぴん台湾」といふ本。ここには、観光客で成り立つてゐる店で、地元の人はあまり行かない、といつたやうな事が書いてあつた。そこで、ミオさんに質問の真意を尋ねると、「個人的には、『鼎泰豊』よりおいしい店は台湾にたくさんあると思ふ」との答へだつたので、ではそこに連れていつて下さい、といふ事になつたのだ。

 ミオさんが連れて行つてくれたのは、「金鶏園」といふ店。ほんとに、フツーに街角にあるやうな店だ。注文は例によつてミオさんに一任する。油豆腐細粉、蟹黄湯包、珍珠丸子、菜肉蒸餃、小龍包……。うまい。確かに、うまい。台湾に来てから、結構うまいものばかり食べてゐるので、そんなにブッ飛ぶほどではなかつたけれど、それでもおいしい。さらに、安い。家のちかくにこんな店があれば、と思ふ。調子に乗つて、お土産にお菓子を買ふ。

 そこを出て、街をふらつく。「豆花豆腐」と書いた看板のある店に入る。まだ、食べるのだ。これは甘い豆腐。トモコは腐つた豆腐を食べたがつたのだが、まァ、ここはひとつ甘いやつで。30 元なり。その後は、万頭専門店で万頭を買ひこんだりして、ミオさんの提案によつてお酒を飲みに行くことにする。初日に行きそびれた「Saloon」へ。

「Saloon」は、「NAOMI」よりもずつとお洒落なバーであつた。かかつてゐる音楽も、クラフトワーク→ミッシー・エリオット→ネプチューンズ(もちろん、バスタ・ライムをフューチャリングしたアレ)と、分かつてゐる感じ。黒人のグループもお客さんで来てゐる。が、店員の人たちは、相変はらず店員同士で遊んでゐて、ミオさんは「わたし、台湾の店員の人たちには言ひたい事がたくさんあるんですよ」とビシッとした感じで言つてゐた。

 そこで夜が更けるまで喋つた後、我々はミオさんと分かれてホテルに帰つた。二日間も我々に付き合つてくれ、且つ数々の興味深いお話をしてくれたミオさんに感謝! ホテルに帰り着いた我々は、早速買つてきたばかりの万頭を食べる。もう、お腹がいつぱいです。

小川顕太郎 Original: 2004-Jan-9; Last updated: 2004-Feb-12