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 Diary 2004・1月8日 (WED.)

台湾日記
四日目


その壱 龍山寺

 龍山寺に行く。平日の午前中だといふのに凄い人出。ここは地元の人たちの崇敬を集める道教系のお寺といふ事で、確かに多くの人たちが熱心に祈つてゐる。長い線香のやうなものを両手で持ち、本殿に向かつてしきりに礼を繰り返してゐる。見てゐて気持ちの良い眺めである。お寺の周りには市のやうなものがたち、こちらも中に負けず劣らずの活気だ。お爺さんたちが口をクチャクチャさせて、中から赤いモノが覗いてゐるけれども、あれは檳榔だらうか、と考へる。

「穀鳥軒」といふ喫茶店に入る。QQコーヒーといふのを飲んだのだが、これは例の、あのタピオカコーヒーであつた。


その弐 再春館

 先日、足ツボマッサージを受けるつもりで全身マッサージを受けてしまつたのがどうにも心残りでならなく、やはり足ツボマッサージを受けなくては気持ちが収まらない。といふ事で、「再春館」といふ所に足ツボマッサージを受けにいく。行つてみると、思つたより辺鄙な所にあり、思つたよりボロく、みすぼらしい外観。一瞬怯んだが、ここまで来てしまつたし、と、勇を鼓して入る。中には日本語をペラペラ喋る自称72歳のお婆さんがゐて、ここには志村けんも松坂慶子も来たことがある、と写真を見せてくれたりした。ま、日本語が通じるといふのが気が楽でいいかな、と思つたのだが、これが大間違ひであつた。お婆さんは別に足ツボマッサージをする訳ではないのだが、マッサージを受けてゐる私の横に座つて、ズーッと漢方薬の営業をするのだ。漢方では各人それぞれに対応した「証」が大切なので、すでに調合済みの「〜に効く」といふ万人向けの類のものはほぼインチキ、と私は思つてゐるので、そんなもの買ふ訳がない。だから断るのだが、もうしつこい! 私がツボを刺激されて顔をしかめるたびに、「あ、それ、そこは…前立腺のツボ。このままなら前立腺肥大になるね。でもこの漢方薬を飲めば…」と畳みかける。どこを押しても「前立腺肥大」に繋がるのが解せないが、たぶん男性に対しては「前立腺肥大」か「糖尿病」で脅かすのだらう。結局、最初から最後までお婆さんの営業攻めで、買はなかつたとはいふものの、すつかり疲れ果ててしまつた。帰り道も、トモコは足が軽くなつたと喜んでゐたが、私は気疲れの方が大きく、足ツボマッサージの効果は全く感じられなかつた。

 お腹が空いたので、そこらへんの店に入り、魯肉飯や肉包などを食す。店内のテレビではマギーチャンがCMに出てゐた。


その参 織造署

 街をブラブラしてゐると、トモコが「あ! チョット待つて!」と言つて立ち止まつた。かういふ時は、何か欲しい物をみつけた時なので、注意が必要だ。別にどうといふ事のない、どちらかと言ふと垢抜けない洋服屋の前。「チョット、見てくるわ」と言つて、ターと中に入つてしまつた。私は、店の外でボーっと待つ。しばらくすると、服を試着してゐるトモコに呼ばれる。「これ、買ふわ」「あ、さう」。トモコは、店の人とすつかり仲良くなつてゐた。

 店の人は日本語を習つてゐるらしく、カタコトの日本語を喋る。そして、なんと! 日本が大好き! と言ふのだ。おお! とうとう出会つてしまつた、日本好きの台湾人に。日本にも一度だけ行つた事があるらしく、京都や奈良は素晴らしい、日本の人はみんなお洒落、と言ふ。なるほど。しかし、一番いいのは日本は空気がキレイなこと、と言はれたのには面食らつた。日本が空気がキレイだなんて。が、確かに、台北に較べれば、かーなり日本は空気がキレイだ。といふか、台北の空気は悪すぎ! 身体の調子を壊しさうだ。大量の排気ガスと至る所で行はれてゐる工事の砂塵・排ガスで、なんとなく空気の色が濁つてゐる。新しめの店の中には新建材の匂ひが立ちこめてゐるし、基本的にさういつた衛生面には無頓着にみへる。これは、イヤな人には耐へられないだらう。ミオさんも、傍若無人に走り回るバイク群を睨みながら「環境破壊の元凶です!」と言つてゐた。

 ちなみに、そこの服は結構良かつた。店の外観・内装と釣り合つてゐない、と言へば失礼かもしれないが、いはゆるガイドブックに載つてゐる台北のエッジな服屋と質的には変はらないものが、かなり安くで売つてゐる。いい店かも。頑張つて欲しい、「織造署」。


その四 林華泰茶行

 ミオさんに教へて貰つた「林華泰茶行」といふ所に、お茶を買ひに行く。ミオさんから「一見閉まつてゐるやうに見えるけれども、勇気を出して入つて下さい。中には、日本語を喋ることができる人がゐますから」と聞いてゐたが、確かに閉まつてゐるやうに見える。といふか、とても店には見えない。ガレージ? 工場? て感じだ。半分閉まつてゐるシャッターをくぐつて中に入ると、中に茶葉の詰まつた巨大なドラム缶のやうなものがゴロゴロ置いてあり、たくさんの人が忙しさうに立ち働いてゐる。我々が入つて行つても、誰も気に留める様子はない。とても日本語はおろか、英語でさへ通じさうな雰囲気はなく、我々は些か戸惑つてしまつた。

 しばらくウロウロしてゐると、日本語を流暢にあやつるお爺さんが現れてくれた。ホッとする。この人に色々と教へられ、相談しながら、何種類かのお茶を買ひ込む。見てゐると、いかにも近所から来ましたといふ出で立ちのをじさんなどが、袋を持つてお茶を買ひに来たりしてゐる。さういふ所なのかもしれない。とにかくお茶は買つて帰りたかつたので、これで一安心、とホッとしてそこを出る。


その五 豆将大王(ホントは「将」の下に「水」がつく)

 台湾では豆乳料理がおいしいといふ。本当かどうかしらないが、トモコがさういふのだから仕方がない。街中の至る所に豆乳料理屋さんがあるのだが、最もよく目につく「豆将大王(ホントは「将」の下に「水」がつく)」といふ店に入つて食してみる。もちろん、英語も日本語も通じないので、勘で注文する。フワフワとした暖かい豆乳の中に、干しエビやらなんやら具が入つてゐる。うまい! 台湾のかういふちよつと汚れた店はどこでもうまい! …しかし、考へてみれば、かういふ所の食べ物には、我々が日本にゐる時には極力避けるやうにしてゐる化学調味料や過剰な糖分なんかが、ふんだんに入つてゐるのだらうな。我々は旅行中で、こんな食事は非日常なのでいいけれど、毎日これを食べるとなると…。実際、こちらの人は外食が非常に多いのださうだ。家で食べる場合も、屋台などですでに出来上がつてゐるものを買つて帰る。安くて、うまくて、店の数も多いので。…ここで私は、台北の街角で非常によく見掛ける足萎への人たちを思ひ浮かべた。糖尿病? …いや、これは私の単なる妄想かもしれない。


その六

 夜はこれまたミオさんに教へて貰つたイタリアンレストラン(?)に行く。名前は…失念! 実は、この日記(台湾日記四日目、その六)を書いてゐるのは、約1年後の2005年1月10日なのだ。なんと1年間もほつたらかしにしてゐた事になる。酷いもんだ。一度ミオさんに、「ケンタロウさん、台湾日記途中で止めたでせう」と恐い顔で睨まれた事があるが、それ以来、私はシクシクと痛む胃を押さへながら生きてきたのだ。しかし、それももう限界である。私は重い腰をあげ、覚え書きノートを探した。…が、見つからない! これでは、名前が分からないではないか。ミオさんに訊いてみるか、とも思つたのだが、また怒られるかもしれない。それなら、いつそのこと正直に忘れました! と公言して日記を書かう、と決心したといふ訳である。んで、この名前の分からないレストランだが、これがまた良かつた。給仕をしてくれる人たちがいいのだ。片言の日本語プラス英語で喋るのだが、ツボをついた冗談といひ、細やかな心配りといひ、なかなか素晴らしい。台湾での最後のディナーを、気持ちよく過ごすことができた。

 夜はまだ続く。次は「紫藤蘆(ツートンルー)」。ここは有名だから名前は分かる。店主のチョウ・ユー氏が自宅を開放して茶館としたところで、素敵な庭のついた洒落た邸宅の中に入れば、座敷のある部屋がたくさんあつて、そこでゆつくりとお茶が飲める。文句なしに気持ち良いところだ。が、旦那商売だな…と、すぐに考へてしまうのが、同じ茶館(カフェ)経営者としての哀しい性。なんでもこの「紫藤蘆」、始めた当初はあまりの斬新さに、みんな集まつては来るのだが、誰もお金を払はなくて困つた、とチョウ・ユー氏が語つてゐるほどで、なるほど、利益を出さうなどと考へてゐたら、こんな商売はできまい、と思はせる。様々な文化人・芸術家のパトロンもしてゐるやうで、こんな人、京都にもゐるんだよねー、などとついつい考へてしまう。もつと素直に楽しめんものか。せつかく一年に一度の休暇で、海を越えて台湾まで来てゐるのだから。…

 さらに最後の夜を惜しんで、フラフラと夜の街を彷徨つた後、ホテルに帰つて荷造りを始めたら、案の定入り切らなくて、朝まで苦しむことになつた。…と、まァ、こんな感じ?

 今回の旅は、大いにミオさんのお世話になつた。この事は声を大きくして言ひたい。ちやんと、台湾まで届くくらゐの声の大きさで言ひたいのだ。その恩義を感じてゐるからこそ、私は約1年もかけてこの台湾日記を完成させたのである。うむ、疲れた。明日から、熊野ですか?

小川顕太郎 Original: 2004-Jan-10;