台湾日記
二日目
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その壱 朝食
8 時に起床。日本でなら考へられないことだ。さて、朝食である。トモコは、朝食がおいしい事がホテル選びの絶対条件、と常日頃から言つてゐる。私にはよく分からないが、不味いよりは美味しい方が私もいいので、別に不満は述べない。で、ここの朝食はどうだつたのか。なかなかおいしいではないか、といふのが私の意見。が、トモコは難しい顔で、「この程度で私を満足させられると思つたら、大間違ひよ」と呟いてゐる。うーむ、難しいなァ。
朝食後はコーヒーを飲みながら、ロビーのパソコンでオパールのサイトとメールボックスをチェック。これが日課になる。
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その弐 好様
ブラブラと台北の街に彷徨ひ出る。暑い。少し厚手の長袖 T シャツ一枚で出てきたけれど、それでも歩いてゐると汗ばんでくる。街の様子はかなり日本ッぽい。グラフティも散見する。我々は ATM でお金をおろし、昨日ミオさんに教へて貰つた「好様」といふカフェへと向かつた。ここは少なくとも我々の持つてゐた情報誌群には載つてゐない所である。「好様」は、少し裏道を入つたやうな場所にあつた。
テラス席が二つあり、そこに座る。かなりイイ感じの店である。オープンキッチンが店の真ん中にあり、そこを囲むやうに、色んなタイプの椅子やソファ(?)が、無造作に配置してある。お客さんが我々ともう一組しかゐなかつたからだらうか、客席にまでキッチン内のものが溢れ出てゐる。俎や、剥きかけの果物など。スタッフはみな若く活気に溢れ、これぞ私のイメージするカフェ! である。適度なルーズさ、間のとりかたなど、些かオパールに通じるものがあるやうな気がしたのだが、どうだらうか。
などと書いた後に書くと、自画自賛ッぽくなつてしまうが、非常にハイセンスだと思ふ。いや、在り方がさ。昨日の店のやうに、全身で「わたしはお洒落よー!」と叫んでゐるやうな店はダサいのだ、はつきり言つて。なんてね、うむ。台北といふ街の真の実力をみる事ができたやうで、とても満足した。これはミオさんに大感謝です。
ちなみに私はグラスワイン(150 元)と好様三明治(150 元)を注文した。台湾の物価を考へると、結構高い方だと思ふ。あ、三明治とはサンドイッチのことです。
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その参 國府記念館
そこを出て、國府記念館へと向かう。國府記念館は、孫文を讃へて作られた建物である。巨大な孫文像があるらしい。途中でサンリオショップを発見したり、漢字看板にうけながら歩いていつたのだけれど、なんと言つても寝不足+この暑さである。國府記念館に辿り着いた時はもうフラフラ。ジャージを着た大量の子供たちの群れを建物の周りに発見すると、完全に記念館の中に入る気は失せてしまつた。南方熊楠と一緒に写真に収まつた孫文の姿が頭をかすめたが、孫文すまん! と心の中であやまつて、私とトモコはタクシーに乗つてホテルへ帰つてしまつた。タクシーの中ではテレビが歌謡番組を流してゐて、運転手さんはそれに合はせて、ずつと歌をうたつてゐた。
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その四 魚排麺
ホテルに帰り着いた我々は、そのまま昼寝をしてしまつた。起きるともう夕方。ううむ、いかん、疲れをとらなくては、短い滞在を楽しめない。そこで、比較的ホテルの近くにある足ツボマッサージに行くことにした。やはり、台湾と言へば、足ツボマッサージだらう。我々はブラブラと散歩気分で出掛けた。
道の両側には、なにやら得体はしれないがやたらおいしさうなモノを売つてゐる店が並んでゐる。中で食べられるやうになつてゐるところも多く、猥雑ながら活気に溢れた雰囲気に惹きつけられる。トモコが我慢できずに、何か食べたい! と騒ぎだした。そんな事を言つても、足ツボマッサージを受けた後に、どこかちやんとした所に食べに行く予定なのに…と私は渋つたのだが、結局はトモコの熱意に負けて、適当にそこら辺の店に入つた。店の奥にあるキッチンのところで注文をするのだが、まづ、言葉が通じない。書き忘れてゐたが、朝行つた「好様」でも、日本語はもちろん、英語も通じなかつた。よく台湾は日本語を喋る人も多いから言語的には楽、といふ話を聞くが、それは多分観光地に限つた話で、普通の街中では、日本語も英語も通じない。が、メニューは漢字(日本と中国では失はれた正字!)なので、なんとなく当たりをつけて注文することはできる。魚排麺といふのを注文した。75 元。ラーメンに、魚のフライが別皿でついて出てくる。うまい。満足だ。
この店で我々が食べてゐる間、次々とお客さんはやつてきたのだが、全ての人が持ち帰りであつた。店で食べてゐるのは我々だけ。台湾では家でご飯を作るより、店で買つて帰る、といふ話も聞いてゐたのだが、本当なのかもしれない。
ちなみにこの店には、キリストとマリアの像が飾つてあり、額に入れた書も飾つてあつたのだが、その書を読むと、漢字で書かれた聖書の一節であつた。ふむ。台湾の宗教事情はどうなつてゐるのだらうか、とフッと思つた。
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その五 知足常楽
我々がここ「知足常楽」を選んだのは、ホテルから近いといふことと、ガイドブックに載つてゐたからだ。ホテルから近いといふだけならば、いくらでも足ツボマサージの店はあつた。しかし、やはりガイドブックに載つてゐて「日本語も通じる」と書いてあるところの方が安心ではある。で、「知足常楽」へと足を踏み入れたのだが、我々を迎へてくれたお兄さんは、日本語が通じる、といふにはあまりに片言の日本語しか喋られない人であつた(その後、出てきたオジサンは、かなり流暢に日本語を喋つたが)。で、そのお兄さんの説明によつて我々は、「足ツボマッサージ」「全身マッサージ」のうち「全身マッサージ」を選んだのだが、これは「全身マッサージ」には「足ツボマッサージ」が含まれると勘違ひしたからで、お兄さんの説明が悪かつたのである。うむ。まァ、よい。私とトモコは、それぞれ別の個室へと入つた。
パジャマに着替へて、ベッドにうつ伏せに横たはる。さきほど我々に説明してくれたお兄さんが、かなり筋骨隆々とした人であつたのだが、私の背中に手を乗せて、グッと力を込めた。ゲホッ!! 私は、魚排麺を食べてきた事を真剣に後悔した。
それからキッチリ 1 時間、時には息がつまるやうな痛みに耐へながら、全身マッサージは終了した。なんとなくボーっとした気持ちで個室を出ると、すでに先に出てきてゐたトモコが、裸足で椅子に座つてゐた。なんで裸足なの?
「え? 足ツボマッサージが始まるのを待つてゐるんだけど」
「だから、足ツボマッサージは含まれてゐないッてば」
「えェー! ウソー、ショックゥ!! ガーン」
一人 1000 元、二人で 2000 元を払つてそこを出る。歩きながら、どのやうな事をされたか、をトモコと話し合つてゐると、なんと! 二人で全く違ふ内容のマッサージを受けてゐたことが判明した。トモコの受けたマッサージの方がバラエティに富んでゐて、首をゴキッと回されたり、海老ぞりをグググーとされたり、熱タオルでアチアチと蒸されたり、したさうである。トモコはそのたびに、「ああーそれは厚生省では禁止されてゐるのよー」と心の中で叫んでゐたさうだ。
私は全身が軽くなるどころか、ズキズキと痛んでくるのを感じてゐた。
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その六 竹里館
夕飯は「竹里館」でとる。ここは様々な情報誌にも載つてゐる有名なところで、渡辺満里奈の本でも小林よしのりの本でも紹介されてゐる。日本にも支店があるさうだ。とてもお洒落な店で、店員さんたちも日本語が喋られるし親切、料理もおいしいし、安心して気軽に楽しめる良い店であつた。ただ、我々の趣味とは少しズレるかな。ううん、この感じを何と言ひ表すか…
「ジャズの流れてゐるお蕎麦屋さん、て、感じぢやない」とトモコ。
うん。正に、さういつた感じだ。
これは小林よしのりの本に書いてあつたのだけれど、この「竹里館」の主人の黄さんは、近頃の台湾の若者はコーヒーを飲むやうになつて茶藝館には来なくなつた、と嘆いてゐるさうだ。なるほど。ありさうな話である。さういつた事情を考へると、このやうに如何にもお洒落な茶藝館を作つて、若者たちを牽引するのはとても大事なことだと思へる。満足して、そこを出る。
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その七 夜市
地下鉄に乗つて、龍山寺に向かう。が、駅を出てから逆方向へとドンドン歩いていつてしまい、なんだかイタリアみたいな街並みだなァ、などとトモコと言ひあつてゐるうちに、龍山寺は閉まつてしまつた。ま、仕方がない。周りの夜市をぶらつく事にする。
台湾には夜市と呼ばれるところが何カ所かある。要するに、夜になれば様々な屋台が乱立して賑はふところのことで、龍山寺のそばにも、有名な夜市があるのだ。確かに、なかなかの熱気。ここでも、何なのかよく分からないが、やたらおいしさうな食物を積み上げた屋台が無数にあり、衣服や謎の小物を大声をあげて売つてゐる屋台もある。商店街のやうなところに入れば、両側には足ツボマッサージの店がズラリと並んでゐて、「アシツボ、キモチイイヨ!」と、日本語でしきりに呼び込みをかけられる。ううむ、かういふのは苦手。しばらく行くと、トモコが悲鳴をあげて飛び上がつた。店の真ん中に、大蛇が身体を伸ばしてゐる。蛇屋である。蛇が食べられるのだ。こ、これは行きたい! 私の頭には、『吾輩は猫である』の蛇鍋が浮かんだ。が、トモコが「蛇を食べるのはいい。でも、この店の中で食べるのだけは、死んでもイヤ!!!」と言ふので、断念せざるを得なかつた。残念。でも、仕方ないか。その店の中には、蛇がウジャウジャと入つた金網が、所狭しと置いてあるのだ。で、店の真ん中の床にはゴロンと大蛇。蛇嫌いのトモコが入られる訳がない。ちなみに、その一帯には似たやうな蛇屋が何件も軒を連ねてをり、一体何匹の蛇がここに集中してゐるのか、と茫然とした。
せつかく来たのだから、と、一軒の小さな屋台といふか店のやうな所に入り、スープや餃子などを食べる。もちろん、全く言葉は通じない。が、をぢさんが始終ニコニコしながら手真似で相手をしてくれたので、問題はなかつた。台湾の人たちは、大陸の人たちとは正反対で、非常に愛想が良く、気持ちがいい。日本人に通じるものがある。故に、外国に来てゐるといふ緊張感があまりなく、旅行気分が薄い。いいことなのか、どうなのか。そこで檳榔を購入する。
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その八 CAFFE CHICCO DORO
ホテルのすぐ隣に、「CAFFE CHICCO DORO」といふ名のカフェがあつた。ここは夜の 1 時くらゐまでやつてゐるので、ホテルに帰る前に寄る。コーヒーカップなんかはカワイイ。が、味の方は…。
部屋に帰つてお風呂に入り、就寝。
interlude 2「日本人、そんなに愛されてゐないですよ」とミオさんは言つた。 台湾は一般的に親日的な国だと言はれる。それは同じく日本の植民地であつた韓国と較べると、その通りだらうと思はれる。台湾は日本に統治される前はオランダや清、日本統治後は国民党の大陸人(客家たち)、といろんな人たちに統治されてきた訳だが、その中でも日本の統治は比較的マシだつた、といふのがその理由ではないだらうか。実際、今の台湾の基礎(インフラや教育)は、日本統治時代に創られた。だから日本統治時代を知る現在のお爺さん & お婆さん世代には、親日的な人が多いらしく、昨年イチモトくんのお友達が台湾に行つた時にさういつたお爺さんと知り合ひ、一緒に軍歌を歌つたさうだ。 しかし、若い人たちはどうなのだらうか、といふのが私の疑問であつた。若い、といふか、日本統治時代を知らない、それ以降の世代の人たちのことだ。何故なら、戦後は国民党によつて反日教育がなされたはずで、約半世紀に渡る教育の力は、やはり大きいと思ふからだ。とはいへ、韓国や中国ほどひどい反日意識はないやうにも思へる。実際、どうなのだらうか? と、いふ私の疑問に対する答へが、冒頭のミオさんの言である。付け加へておくと、この会話は小林よしのりの『台湾論』の話をしてゐる中で出てきたので、『台湾論』に描かれてゐるほどには日本人は愛されてゐない、といふ意味だととつた方が正確だらう。また、ミオさんが台湾でおかれてゐる位置、仕事の性格、付き合つてゐる人々の社会的位置や性格、などによつても、制約はある感想だとは思ふ。が、またしても私は深く頷いてしまつたのである。 「あ、でも、もちろん、日本は国力が強いので、日本に憧れる若者たちはゐますよ」 と、ミオさんは付け加へた。日本のサブカルチャーや日本の国力に憧れる「哈日族」と呼ばれる若者たちが存在する、といふ話は聞いてゐた。さういふ人たちは、まァ、ゐるだらう。が、別にさういふ人たちぢやなくても、日常会話に平気で日本語が混ぢつてゐたりする。「チョット」「ソッカ」「オバサン」「ニーサン」など。我々が「バイバイ」「オッケー」などと英語を交ぜるのと同じ感覚なのだらう。街中で何度も聞き、そのたびにビクッとした。 しかし、それを言ふなら、何と言つてもアメリカの影響が大きい、とミオさんは断言する。みんなほんと、アメリカに憧れてゐる。アメリカに留学したり、英語を喋つたり、といふのが格好いいこととされてゐて、私にはついていけない、と言ふ。特に 911 以後は酷くて、アメリカに対する批判が全くでない。全世界的な反米の流れも、台湾には全然関係がないみたいで、アメリカ礼賛の洪水。もともとそんなにアメリカは好きではなかつたけれど、台湾に来てからもの凄くアメリカが嫌いになつてしまつた、とミオさんは溜息をついた。 なるほど。台湾は実質的にアメリカに守られてゐる。アメリカがゐなければ、中国にやられてゐるだらう。つい数年前も、中国から威嚇のミサイルを近海に撃ち込まれてゐるので、その気持ちは切実のはずだ。李登輝も、自分がいかにブッシュ一族と家族ぐるみの付き合ひをして仲良くしてゐるか、といふ事を、インタビューなどで公言してゐる。これは、政治的に仕方がないことだ。しかし、それが文化にも力を及ぼし、人々の意識にまで影響を与へてゐる。これも、仕方がないことだとは言へ、恐ろしいことである。 ちなみに、ミオさんがどれほどアメリカを嫌いになつたかといふと、その昔、バーホーベン監督の『スターシップ・トゥルーパーズ』を観た時は、アメリカのマッチョ体質をおちよくつた映画として素直に楽しめたのに、このあいだ観直さうとしたら、あまりの嫌悪感に気分が悪くなつて、最後まで観ることができなかつた、といふくらゐだ。うーむ、面白いです。 |