スパイダーマン 2
スカラ座にて『スパイダーマン 2』(サム・ライミ監督)を観る。さて、私は『スパイダーマン 1』を観てゐない。なのになぜ続編を観ようと思つたかと言ふと、それはヒロイン役のキルスティン・ダンストゆゑなのだ。周知のやうに(?)、私はキルスティン・ダンストのファンである。いや、子役時代以外は、『チアーズ』一本しか出演作を観てゐないので、本当は「ファン」などと云へたもんではないのだが、周りの人々があんまり「キルスティン・ダンストは不細工やー」と言ふので、一種の判官贔屓で「ファン」を公言してゐたのである。そして今回の『スパイダーマン 2』。映画の評価はそれなりに高いが、それに比例するやうにキルスティン・ダンストに対する悪評も高い。おすぎも、キルスティン・ダンスト以外は最高の映画、などと言ふし、ババさんも、キルスティン・ダンストのアップは拷問やー! 、などと言ふ。ヤマネくんもショウヘイくんもマツヤマさんも、みんなキルスティン・ダンストはブサイク! と言ふのである。ただ一人、コータローくんのみが「キルスティン・ダンスト最高! キルスティンを観るためにスパイダーマンを観に行つた」と嬉しいことを言つてくれたので、私も負けじと『スパイダーマン 2』を、キルスティン・ダンストを観るために、行くことにしたのであつた。
さてキルスティン・ダンストはどうであつたのか。…ま、みんなの言ふ事も分からないでもない、といつた感じ。確かに、『チアーズ』の頃に較べると、些か微妙な感じになつてゐる。が、総体的にみればもちろんカワイイ訳で、この良さが分からないやうでは…。特にラストの結婚式を逃げ出すシーンは最高で、あれでグッと映画が良くなつた。とにかくこの映画、主役のスパイダーマンがダメな奴で、「彼女(キルスティン・ダンスト)を危険な目に遭はすのは耐へられない」とか云ふ手前勝手な理由で彼女を振り回し、彼女及び周りの人間にも迷惑をかけ、それでも結局は彼女の命を危険に曝し、なんとか危険は脱したものの、「正義のためには、時には夢(キルスティン・ダンストと結婚すること)を諦めなければならない」なんて「絶対にできない」ことを言つて彼女の前を去る。お前なー、それができなくて今まで周りに迷惑をかけてきたんだらうが! このままだと、また元の木阿弥…とウンザリしかけた所に、キルスティン・ダンストが(他の婚約者との)結婚式を抜け出してかけつけてくれたので一件落着、といふ次第。いちおう、「ダメだ、ボクと一緒になれば危険だ」などと言つてはみるものの、「私の決めたことも尊重して!」とキルスティン・ダンストに一喝されてお終ひ。結局、このスパイダーマンは、なんやかんや言つても自分の絶大な力の上にアグラをかいた差別意識の持ち主だ、といふ事がここで暴露されてしまうのである。さう、最初からキルスティン・ダンストの意見を尊重する姿勢があれば、こんなややこしい事にならなかつたのだ。なんでも決められるのは自分だけ、といふ傲慢な思ひ込み。が、その実、決めたことはほぼ間違つてゐたり、すぐに変心したりする。ま、その点は典型的なアメリカン・ヒーローといふ事なのだらう。
私は『1』を観てゐないのでよく分からないのだが、どうやら『1』においても、スパイダーマンのせゐで、親しい人が死んでゐるやうである。つまりはこの映画シリーズは、性格も頭も弱い人間が強力な力を持つてしまつたがために起こる悲喜劇、を描いてゐると読みとれる。かういつた人間は、どうしたつて嘘と偽善で固めた人生を送ることになり、その事によつて苦しむ。周りも迷惑する。それを救ふのが、時には自分勝手に思へるほど、常に自分の気持ちに正直に生きてゐるキルスティン・ダンスト演じる MJ 、といふ訳。「自分の気持ちを偽るな」「正直を徳とせよ」といふのが、この映画のテーマであらう。
ちなみに、この映画では CG をバンバン使つたアクションシーンが満載だが、『マッハ !!!!!!!!!』を観た後では、白けて白けて、とても観てゐられません。所詮 CG だろ、とも思ふし、「この程度」の事なら、トニー・ジャーが生身でやつてゐたよ、とも思ふ。その点、いささか退屈な映画でもあります。
でも、ま、キルスティン・ダンストを観るためになら、行く価値があるでせう。是非!
小川顕太郎 Original: 2004-Aug-3;