京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

Home > Diary > 03 > 0911
 Diary 2003・9月11日(THU.)

座頭市

 MOVIX にて『座頭市』(北野武監督)を観る。………えらい! 感心いたしました、私。やはり、北野武は凄い、と。ここまで完成度の高い、ほぼ完璧なエンタテインメント作品を作つてしまへるなんて。いや、ホント、凄いことですよ、これは。北野武はやつぱり、現代における日本一の映画監督です。私は自信を持つて大声で再度言ひます。北野武は日本一だあー!!!!!!

 この映画は、監督デビュー作である『その男、凶暴につき』以来の 2 度目の雇はれ監督作品らしいです。つまり、最初に企画があつて、これの監督を頼む、といふ形でメガホンをとつた、といふことです。なるほど、それでなのか、いつもの北野武調が、いささか抑へられてゐる。結果として、非常に分かりやすい、良質のエンタテインメント作品に仕上がつてゐる。北野武はこんなことも出来るんですね、と感動。北野武の映画は、いつもブッ壊れてゐて、それが凄いんだけれど、それは天才故であつて、万人受けするやうな作品は撮れないのかと思つてゐた。言葉を変へると、北野武の作品は作家性が濃く、作家性の薄い純粋な娯楽作品には向かないんぢやないかと考へてゐた。それがどうして、どうして、素晴らしく純度の高い娯楽作品だ『座頭市』は。まあ、よく考へてみれば、『その男、凶暴につき』といふ前例もあつたことだし、『キッズリターン』なんかも純度の高い娯楽作品だつた訳で、これぐらゐのことは当たり前かもしれない。が、万人受け(賞受け?)を狙つた『HANA-BI』が良くなかつたこと、ブッ壊れた大傑作『BROTHER』と、それに続くブッ壊れた失敗作『DOLLS』によつて(それぞれ個人的評価です、もちろん)、なんとなく北野武には真つ当な娯楽作品は撮れないんぢやないか、といふ錯覚に陥つてゐた。反省。いや、再度言ひます。北野武は日本一の映画監督です!!

 作家性を抑へた純度の高い娯楽作品、とはいふものの、きちんと北野武印は刻印されてゐます。まづ殺陣のシーン、といふか、やはりアクションシーンと言ひたいところだけれど、これが北野武印。一瞬にして血しぶきがあがり、相手が叫びのたうつてゐる。その圧倒的な暴力性! 相変はらず気持ちイイー! また、座頭市が盲目である、といふことを効果的に使つた、音による官能性。陶然とするやうな、美しいシーンが続きます。まぎれもなく映画を観てゐる、と感ぢる幸せ。さらに、座頭市の異様な存在感。あまりに異質な存在として、座頭市はある。他の人々が、よく出来た時代劇のパロディみたいなものを演じてゐるやうに感ぢる(悪い意味で言つてゐるのではありません)のに対して、座頭市は、あまりに違ふ。被差別民、障害者、正体や行動の動機が全く知れないこと、などを含めて、存在の次元が違ふ、といつた感ぢ。それでゐて、映画の中にスッと収まつてゐる。これは、同質性の高い日本といふ国に於いて、異質であるといふのはどういふことなのか、といふことに対する深い認識が、北野武にある故でせう。芸人としての深い覚悟と徹底した認識。ここからさらに大風呂敷を広げるなら、グローバリゼーションといふ同質化をアメリカが推し進める現在の世界に於いて、日本は如何にあるべきなのか、をも示唆する、非常にアクチュアルな作品だといふことも言へるだらう。この作品を 9 月 11 日に観てしまつたのは、一種の天啓だと思ふ。うそ。

 とにかく大推薦! みなさん観にいつて下さい、…って、もう行つてゐるのかな? 大ヒットのやうだし。それもまた、良かつた。北野武の映画は、大抵ガラ空きの映画館で観てきましたから。

 北野武は、日本一の映画監督です。

小川顕太郎 Original:2003-Sep-13;

関連記事
レヴュー:2003・9月10日
座頭市(BABA)