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 Diary 2003・1月3日(FRI.)

歴史的かなづかひ

 雑誌「正論」2 月号は、久しぶりにをもしろさうなので、購入した。特に、歴史的かなづかひの特集があつたのが良かつた。歴史的かなづかひと言へば、私も一時期使つてゐたことがある。福田恆存の『私の國語教室』で勉強したのだ。多少なりとも、言葉や文字、国語、文学、哲学、美学、などに興味を持つたことのある人ならば、現代の日本で使われてゐる、新かな・常用漢字に疑問を持つたことがあるはずだ。端的に言つて、新かな・常用漢字とは、間違ひであり、嘘であり、欺瞞である。佐藤春夫が言ふやうに「亡国語仮名づかひ」である。不合理で醜い。保守主義を標榜する者として、正漢字を全て覚へ直すのは大変だとしても、せめて仮名づかひだけはと、たぶん間違ひだらけであつたらうが、使つてゐたのだ。

 しかし、途中で挫折した。理由は色々とある。まづ、社会に出て、正しい文字を書き続けることは難しい。会社に提出するレポートを、歴史的かなづかひで出す訳にはいかない。ワープロでは、変換がうまく出来ない。最大の問題は、そもそも歴史的かなづかひ・正漢字に触れることが、急速に難しくなつてきたことだ。戦前の書物は当然のこととして、戦後の川端康成や三島由紀夫の小説でも、本来は歴史的かなづかひで書かれたものであり、とうぜん歴史的かなづかひで読むべきものだ。が、文庫本は全て、新かなになつてしまつてゐる。頑張つて単行本を購入したり、全集を買ふのもよいのだが、お金もかかるし、場所もとる。実際、永井荷風は岩波の選集で揃へたのだが、やはり大変だ。そんなこんなで、ずるずると、私も新かなに戻つてしまつた。情けないことではある。

 それでも、たまにかういふ特集などを読むと、活を入れられたやうな気持ちになる。猛烈に反省する。確かに、言葉の領域において、「正しさ」より「便利さ」をとるやうになつた事が、文化の退廃に繋がつてゐることは間違ひない。酒井隆之は言ふ。

「憲法改正と違ひ、かなづかひの保守は、たつた一人、しかも筆一管でできる愛国運動である筈だ」。全くその通りである。私も、本日から、この日記を歴史的かなづかひで書かう。かな。と、少しばかり考える振りをしてみてゐるやうな感じが、しないでもない。と、とりあへずは書いておかう。


註 1
T さんK さんといふ方から、以下のようにかなづかひの誤りの指摘が寄せられました。ありがたいことです。以後も、このやうな指摘をお待ちしてをります。(2003/02/02)
註 2
「T さん」ではなく、「K さん」でした。重ね重ね申し訳ございませんでした。また、「当然」は、「たいぜん」でなく「たうぜん」でした。(2002/02/10)

 雑誌「正論」2 月号は、久しぶりに【をもしろ→おもしろ】さうなので、購入した。特に、歴史的かなづかひの特集があつたのが良かつた。歴史的かなづかひと言へば、私も一時期使つてゐたことがある。福田恆存の『私の國語教室』で勉強したのだ。多少なりとも、言葉や文字、国語、文学、哲学、美学、などに興味を持つたことのある人ならば、現代の日本で【使われて→使はれて】ゐる、新かな・常用漢字に疑問を持つたことがあるはずだ。端的に言つて、新かな・常用漢字とは、間違ひであり、嘘であり、欺瞞である。佐藤春夫が言ふやうに「亡国語仮名づかひ」である。不合理で醜い。保守主義を標榜する者として、正漢字を全て【覚へ→覚え】直すのは大変だとしても、せめて仮名づかひだけはと、たぶん間違ひだらけであつたらうが、使つてゐたのだ。

 しかし、途中で挫折した。理由は色々とある。まづ、社会に出て、正しい文字を書き続けることは難しい。会社に提出するレポートを、歴史的かなづかひで出す訳にはいかない。ワープロでは、変換がうまく出来ない。最大の問題は、そもそも歴史的かなづかひ・正漢字に触れることが、急速に難しくなつてきたことだ。戦前の書物は当然のこととして、戦後の川端康成や三島由紀夫の小説でも、本来は歴史的かなづかひで書かれたものであり、【とうぜん→たいぜんたうぜん】歴史的かなづかひで読むべきものだ。が、文庫本は全て、新かなになつてしまつてゐる。頑張つて単行本を購入したり、全集を買ふのもよいのだが、お金もかかるし、場所もとる。実際、永井荷風は岩波の選集で揃へたのだが、やはり大変だ。そんなこんなで、ずるずると、私も新かなに戻つてしまつた。情けないことではある。

 それでも、たまにかういふ特集などを読むと、活を入れられたやうな気持ちになる。猛烈に反省する。確かに、言葉の領域において、「正しさ」より「便利さ」をとるやうになつた事が、文化の退廃に繋がつてゐることは間違ひない。酒井隆之は言ふ。

「憲法改正と違ひ、かなづかひの保守は、たつた一人、しかも筆一管でできる愛国運動である筈だ」。全くその通りである。私も、本日から、この日記を歴史的かなづかひで書かう。かな。と、少しばかり【考える→考へる】振りをしてみてゐるやうな感じが、しないでもない。と、とりあへずは書いておかう。

小川顕太郎 Original: 2003;