ジョン Q
京都スカラ座にて『ジョン Q』(ニック・カサベテス監督、デンゼル・ワシントン主演)を観る。以下、いささかネタばれになる恐れがあるので、観に行く予定の人はそのつもりで読んでください。
ジョン Q は、アメリカの下層労働者の黒人。愛する妻と息子がいるが、その息子が心臓移植を必要とする重病に倒れる。しかし、長年(たぶん 15 年)払い続けてきた保険は、なぜか問題があってほとんど適用されず、手術代が払えない。さらに、病院は、支払いが滞りがちなのを問題にしてか(ここらへん、事情がよく分からず)、延命措置を拒否して無理矢理子供を退院させようとする。そこで妻はジョン Q に言う。「あなたいつも口ばっかりだけど、今度だけは何とかしてよ! DO SOMETHING !」。そこでジョン Q は、なんとかしようとする。銃を持って病院の緊急医療室にたてこもり、人質をとって、息子を助けろ! と要求するのであった…。
この映画には色々な主題がある。医療制度や保険制度の問題点、持てる者と持たざる者の問題、犯罪とメディアの関係性、など。が、私はやはり、自分の興味に沿ってと言うべきか、「現代における父権」という点から、主にこの映画を観た。
ジョン Q はなぜ犯罪に走ったのか。それは勿論、愛する息子を助けるためだが、それと密接に平行して、自らの父権のために、敢えて犯罪に走ったのだ。妻はジョン Q に、口ばっかり! と言うが、彼は別に口だけの男ではない。仕事もちゃんとしている。しかし、押し寄せる不況ゆえ、仕事は半分に減らされ、生活は苦しい。妻の車が銀行に差し押さえられた時も、取り返してやることができない。もうひとつ仕事をやろうと必死に探すが、不況時には働き口もない。もちろん彼は妻にも息子にも優しく、よき家庭人ではあるのだが、「父権」の側から言うと十分ではない。「父権」にとっては、まず多くの金を稼ぎ、みなに楽な暮らしをさせてやる事が、絶対に重要なのだ。社会が不況だからとはいえ、その点、ジョン Q の「父権」は弱いのであった。
そこに起こった最愛の息子の重病。もし息子を助けられなかったら、彼の父権は決定的に崩壊する。家族の者を守る、というのは、父権にとって最低限必要な事項だ。妻にはいつも言っていた。俺がなんとかする(DO SOMETHING)、と。今こそ、何とかしなければならない時だ…。で、彼は犯罪に走るのだ。
個人的にこの映画で最も良かったシーンは、自らの命を絶って自分の心臓を息子に提供しようと決意したジョン Q が、息子に語りかけるところ。「お母さんを大事にしろ、将来付き合う女の子は王女様のように扱え、悪い連中と付き合うな、人を押しのけてでも金を儲けろ、何かする(DO SOMETHING)と言ったら必ずやれ」。満身創痍で父権を発揮しようとしているジョン Q が、息子にそれを伝えようとする、感動的なシーンだ。
ところがこの後、「奇蹟」が起こり、事態はあまりにも丸く治まってしまう。ここは評価の分かれ目だと思う。私は、なかなか面白いと思いながらこの映画を観ていたのだが、一方でなんとなくヌルい感じも持っていた。その「ヌルい」感じが、ここで決定的になってしまったように思う。父権を発揮するために犯罪に走る、というのは実はけっこうアクチュアルなテーマだと、私は考えている。なぜなら、世界の警察を自認し、自国民に世界一裕福な生活を保障してきたアメリカは、今や衰退期に入り、自らの「父権」を維持するために、ほとんど犯罪国家と化しているからだ。アジアに金融戦争を仕掛けて壊滅させるだけでは飽きたらず、いまはアフガンに続きイラク、そして北朝鮮、と実際の戦争を仕掛け、戦争経済でなんとか不況を乗り切ろうとしている。この結末はどうなるのか。「奇蹟」が起きて、丸く治まるとでも言うのか。まさか。
あとひとつ、私が興味深かったのは、冒頭に、ほとんど筋とは関係ないように、見るからに金持ちそうな白人の美人が、自動車事故で死ぬところだ。実は彼女の心臓が、ジョン Q の息子を救うことになるのだが、話の途中までそれは分からない。分かった瞬間に、観客は「ああ、あらかじめ彼女が死んでいてくれて良かった」と思うようになっている。実は時間の操作がしてある訳で、あらかじめ死んでいたのではないのだが。彼女を殺したのは、トラックでも彼女の乱暴運転でもなく、映画だ。この映画に必要な「奇蹟」のために、彼女はあらかじめ殺されたのだ。そのことが、冒頭にソッと示される。彼女の死ぬ前の表情が、ちょっと印象的だった。
もうそろそろ年末だが、今年はあまり映画を観なかった。なぜか、ヌルい映画が多かったような気がする。それは、私の観た映画が外ればかりだったからかもしれませんが。ああ、ベスト 10 、どないしよ。
小川顕太郎 Original:2002-Nov-29;