アッラーは寛大
連休明けという事もあってか、凄く暇。だから隣の本屋で芸術新潮の今月号を買ってきてよむ。特集はカラヴァッジオ。豊かな才能と天才的な技量にめぐまれ、圧倒的な影響力を持ちながらも放蕩無頼を繰り返し、人殺しまで犯して死刑宣告を下され、イタリア中を逃げ回りながら数々の傑作を残して 38 歳という若さで逝った画家の全体像を、聖なる人殺し、みたいな切り口で特集したもの。
何故「聖なる‥」なのかというと、カラヴァッジオは当時の他の画家と同じく、宗教画の傑作を多く残しているからで、その絵からは深い信仰心がみてとれる、と。それにも関わらず、素行が無茶苦茶だったことから、矛盾した魅力的な人物、みたいな感じの切り口になったのだ。深い信仰心と人殺し。
ここで私が卒然と思い出したのは、この間の米中枢同時テロ事件の犯人と目される、イスラム教徒達のことだ。いや、彼らのテロ事件の事を指しているのではない。テロそのものは、彼らにとって聖戦なのだろうから、分かりやすい。キリスト教徒だって、敬虔で信心深い人ほど、残虐に大量に異教徒を殺すものだ。それが神の御心にかなうからだ。
そうではなくて、犯人と目されるイスラム教徒が、事件決行の前日に酒場で喧嘩をしていた、という報道の事だ。もちろん、イスラム教では飲酒を禁じている。それなのに、死ぬ前日に酒を飲むなんて、天国に行けなくなるんとちゃうか? と、オパールでもひとしきり話題になったものだ。
私も気になっていたので、家に帰って小室直樹著『日本人のための宗教原論』をパラパラとめくってみると、まさに問題の答えが書いてあった。要するに、アッラーは、ヤハウェと違って、寛大なのだ。お酒を飲もうが、不正テレホンカードを売ろうが、後に謝って善行を積めば、全て許してくれるらしい。なるほど。また聖戦で死んだ者は、それだけで天国に行ける資格が得れるらしく、死ぬ前に少しぐらい羽目をはずしても一向に構わないのだ。
とにかく寛容な事が、キリスト教と違って、イスラム教の特徴で、「不寛容なイスラム教徒」というイメージは、キリスト教徒がプロパガンダで流したものらしい。うーん、またしても洗脳ですか。実際、イスラム教徒は他宗教に寛大で、アッラーの事さえ尊重してくれたら、どんな宗教を信じようが、気にしないそうだ。
戦争に関しても、やられそうなら最後まで闘いぬくべきだが、相手が辞めたら、それ以上闘ってはならない、とアッラー自身が命じている。世界中の隅々まで布教に行き、改宗できない民族を虐殺しまくったキリスト教とは大違いだ。
日本人はとにかくイスラム教について無知だという。そのうえに、アメリカに洗脳されている。うーん、ここらで一発、イスラム教についての知識を深めるのも、大切かもしれませんねえ。そうすれば今回の事件についても、「民主制国家 VS テロ」という単純な見方を脱して、もっと深い洞察が得られるかもしれませんねえ…。
小川顕太郎 Original:2001-Sep-27;