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 Diary 2001・3月11日(SUN.)

神聖喜劇

 ここ一週間ほど、大西巨人著『神聖喜劇』第一巻(全五巻)を読んでいる。これは可能涼介に貸してもらったもので、私が「『神聖喜劇』が読みたいけれど手に入らない!」と騒ぎまくっているのにうんざりしたのか、突然「貸すから読め!」といって、宅急便で送りつけてきたのだ。大部の小説であり、念願の作品でもあることから、このように突然押し付けられても心の準備が出来ていず、困るのだが、近い内に返さなくてはならないという理由をもって、とにかく読みはじめた。

 大西巨人の作品は『三位一体の神話』『迷宮』『二十一世紀前夜祭』『精神の氷点』の諸作品と、『春秋の花』『大西巨人文選 1  新生』を読んだ事があるが、どれもこれも無類に面白かった。『神聖喜劇』は、その大西巨人の代表作であり、かつ戦後日本文学の金字塔といわれる作品なので、絶対に面白いであろうという確信はあったが、あまりにも長いあいだ期待をしすぎていたので、その膨れ過ぎた期待の故に作品の面白さを損なうのではないかと、いささか不安ではあった。しかし、そんなものは杞憂であった。むちゃくちゃに面白い。期待を遥かに上回って面白い。正直いって、ここまで面白い作品だとは思わなかった。このような作品が、現在店頭で手に入らない、というのは、信じられない。犯罪的だとさえ思う。許しがたい。現在の本屋の文学の棚は、はっきりいってゴミばかりである。私はもう長いあいだ、文学の棚の前で止まったことがない。(町田康の作品は、新刊の棚で買う)とにかくあのゴミを全部捨てて、大西巨人の本を復刊させてほしい。復刊ドットコム、とかいう絶版本を復刊させる運動をやっているサイトがあって、そこに『神聖喜劇』もエントリーされているので、みんなで投票して『神聖喜劇』を復刊させよう!

 とりあえず、チラッと『神聖喜劇』がどのような作品であるかを紹介すると…これは第二次世界大戦中の日本の軍隊を描いた作品だ。一般的に日本の軍隊といえば、理不尽な新兵いじめ、というのが想像されるだろう。そして確かにそれは存在するのだが、この『神聖喜劇』の主人公・東堂太郎は、それに対して、博覧強記・超人的な記憶力・強靱な論理性、をもって闘争を行うのだ。理不尽な新兵いじめ、といっても、残虐無道な上官が、勝手気侭に腕力と権力をもって無茶苦茶をするわけではない。実をいうと、もしそうであれば、東堂太郎も抵抗はしないつもりだったのである。東堂太郎は自称虚無主義者であり、抗すべくもない全くの理不尽に対してはこれを受け入れ、ただ死んでいくつもりで、徴兵検査で即日帰郷を命じられたにもかかわらず、無理をいって入隊したのだ。ところが、軍隊というところは、入隊前に考えていたような、全くの理不尽が猖獗するところではなかった。そこは奇妙なまでに規則づくめのところであり、上官達はその複雑な規則を盾にとって、いまだよく規則を理解しえない新兵たちをいじめるのだ。しかし、もし、上官達より規則によく通じているものがいたとしたら、どうか。それが東堂太郎だ。もちろん、上官達は規則を恣意的に解釈し、自分達に都合のよいように規則をねじまげる。それに対しても、東堂は論理的に追求していく…。

 まだ一巻の途中なので、東堂の闘いは始まったばかりだが、これからいったいどうなっていくのだろうかと、楽しみでしかたがない。私よりも少しはやめに読み始めたババさんも「もう、面白すぎて、読むのがもったいなくて」と言う。確かに。

 ちなみに、僭越なことを言うようだが、私がむかしショートカットで連載していた「サラテク」も、実をいえばこの『神聖喜劇』で書かれているようなことがしたかったのだ。日本の軍隊のこういった特質は、体育会系のクラブ・会社・学校・政界・官界・財界・ありとあらゆる日本の組織に、あてはまるものだ。「サラテク」は、いってみれば「神聖喜劇・会社編」だ。もちろん、私の圧倒的な力量不足により、似ても似つかないものになっているが。しかし、私はこの『神聖喜劇』の中に、私のやりたかったこと・やろうと思っても出来なかったこと・ぼんやりとしか思い描けていなかったことが、信じられないくらいのハイレベルで達成されているのを目にして、著しい感動を覚えた。ほんとうに凄いよ、これは。そのむかし、少しでも私の「サラテク」を面白いといってくれた人は、絶対に『神聖喜劇』を読むべきだ。『神聖喜劇』にくらべたら、「サラテク」など稚気溢れる雑文にすぎない。

 というわけで、今から続きを読みます。

小川顕太郎 Original:2001-Mar-13;