京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

HOME > diary > 01 > 0602
 Diary 2001・6月2日(SAT.)

夢二

 テラダさんに付き合ってもらって、書道道具を買いに行く。なにしろ何にも持っていないのだ。本などであらかじめ調べ、だいたい 2 万円くらいと見当をつけ、持って行ったのだが、「それは日本製で揃えた場合。中国製ならそんなに要らない。」とテラダさんに言われる。

 でも日本製で揃えた方がよい、と書いてあったのですが…。「そんな事ないよ。例えばこの筆」と、テラダさんは、連れていってくれた「中国物産展」で 1 本の筆を手にとって言う。「これは 1200 円だけれど、日本製で同じ品質のものを買えば、1 万円以上する。日本製と言ったって、材料を中国から輸入しているものが多いし、なかには製品そのものを輸入して、銘だけ日本でいれているものもある。それで値段が 10 倍から違ってくるんだから。」

 なるほど、そうですか。やはり素人には何にも分からないものです。

 その他にも、本で仕入れた知識とは食い違うことが多く、勉強になる。様々な書道道具屋さんや本屋さんをめぐり、最後には進々堂でお茶を飲みながら、書道界の話をきく。これがまた非常に有益かつ刺激的。あんまり面白いので、ここでは書きません。そのうち追々私が自分自身で裏付けをとって、私の責任のもとに書きたいと思います。乞う御期待。

テラダさんと別れ、いったん家に帰って買い物の品を置き、みなみ会館へ。鈴木清順特集上映の 1 本、『夢二』を観るためだ。いわゆる大正ロマン三部作といわれる鈴木清順の作品のうち、この『夢二』だけは未見だったのだ。

 鈴木清順といえば、私が朧げながらも意識的に映画を観はじめた高校生の頃、今からもう 10 年以上前だけれど、集中的に観た。私に最初にこのテの映画のイメージを与えた監督であり、何にも分かっていなかった私にとっては、ただただ強烈なイメージだけが残り、なんとも評価の下し難い監督だ。(好きか嫌いかときかれれば、もちろん好きだし、褒めるのは簡単だが、それは評価とは言い難い)

『ツィゴイネルワイゼン』にしろ『陽炎座』にしろ、現実と虚構が錯綜し、ストーリーも明確ではない映画だったので、高校生の私には「面白いけれど、正直いって訳が分からない」という感想だったのだが、今日観た『夢二』。これは、私がいくぶん成長したせいなのか、映画のせいなのか、非常に分かりやすい映画だった。で、面白かったのか、面白くなかったのか? もちろん、とても面白かった。

大正時代は 80 年代に似ている、とはよく言われることだ。戦後民主主義がみごとに開花した 80 年代。それは主人公の沢田研二(夢二)によく現れている。欲望と自尊心が強く、そのくせ責任をとる事からは常に逃げ続け、なにかを待ち続けている。モラトリアム。時代との切り結び方も見事で、この映画は 1991 年に撮られたのだけれど、映画の最後に沢田研二が「わたしは何を待っていたのだろう」といった内容のセリフを口にするが、その待っていたらしきものが映画公開後に次々と訪れる。ソ連の崩壊、阪神大震災、オウム真理教事件…。そして現在がある。

ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』も観なおしてみるか。

小川顕太郎 Original:2001-Jun-4;