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 Diary 2001・6月3日(SUN.)

書いてみる

 なぜか普段より 2 時間ほど早く目が覚めたので、オパールに出勤する前に、少し「書」を書いてみることにする。

 まず机の上を片付け、場所をつくる。下敷きを置き、その横に手本を並べ、硯と墨を用意した。よし! と気合いをいれたものの、別段なにを教わった訳でもない。小・中学校の習字の時間に習ったことを思い出し……って、何にも思い出さないので、先日購入した「『書』を書くための基本ハンドブック」(石川九楊編)をパラパラと繙いて、フンフンと頷いてから、徐に硯の岡に水をたらし、ゆっくりと墨をすりはじめる。

 小先生が、墨をするときに音をたてるのはダメだ! と言っていたので、音をたてないようにすろうとするのだが、どうしても音がたってしまう。うまく工夫すれば音は消えるのだが、すぐにギギギーっと、いやな摩擦音がする。いきなりこれか…いや、でもそんな事は当たり前だ、とかブツブツ言いながら、ひたすら墨をする。

 15 分程すり、そろそろかな? と試しに墨に筆をつけ、画仙紙にサッとひとはけ書いてみる。これが非常に綺麗にひけた。滲む、と聞いていたのに、ちっとも滲まない。おおお! 出だし快調! では、書きますか。

 ササッサー、ググッ、ササー、サラサラサラ……うぎゃー! あっかん! こりゃ酷いわ!! 目も当てられない。おまけにムチャクチャ滲んできた。むううう、墨からすりなおしや。

 頭の中で何度もイメージトレーニングをしたのだが、ちっともその通りに手が動かない。そうそうそう、こんなんだったこんなんだった。細かいことは何も思い出さないが、なんとなくイヤ〜な気分だけは思い出した。習字の時間はいつもこんなんだった。

 が、これは習字ではない。「書」なのだ。「書」なのだから、何が違うって、もう全然違うんだけれど、ちっとも思い通りにならないのは一緒だったりするのだった。ああ。とにかく書こう。

「書」が習字と違うのは、習字とはお手本通りに書くのが目的だが、「書」は自分の字を作り上げて書くのが目的だ、というところだ。つまり創造性の次元が付け加わるのだ。とはいえ、基礎がなければ創造性もない。だから最初にしっかり基礎を作るために、厳しい基礎訓練をするのは同じなのだが、同じことをやっているようでも、やはり気分が違う。習字には、目の前のお手本の通りに書ければそれで OK 、つまりそこで行き止まり、という閉息感があったが、「書」には、無限に豊かな世界が先に待っている、という開放感がある。だから、下手なりにゴチャゴチャ書いていても、なんだか楽しい。あまりの下手さに頭を抱えながらも、楽しく書き続ける。と、トモコが起きてきた。

「おはよー‥‥、ん? な、なにこれ! ぷぷー、あハハハハハハハ!!!」

 ……くそう。

 私は道具をしまって、オパールに出かけた。

小川顕太郎 Original:2001-Jun-5;