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 Diary 2001・1月11日(THU.)

死者からの年賀状

 朝起きて、少し悩んだのだが、薬を飲まなくてはならないし、と考えて、朝食にうどんを作って食べる。薬を飲んで、THE BEGINNING OF THE END の『FUNKY NASSAU』を聴きながら居間に転がっていると、九州に行っているトモコから電話。なんとトモコまで、一日遅れで私と同様の病に倒れたらしい。

 つまり、昨日までは元気だったのに、今日の朝起きると猛烈な吐き気と寒気に襲われ、すでに 3 度も吐いたらしい。「もう今日の夜には帰るし」とトモコ。なるほど、それがいいかもしれない。が、あまり無理をせずに、そちらの家にそのまま寝ている、というのもいいんじゃないか。「いや、いま買い物の最中やし」。な、なんでそんな身体で買い物なんかしてるんや! 「だって、みんなへのお土産を…」。ううん、そんな所にまで気を使わなくてもいいのに、と私はトモコの労をねぎらったが、まさかその時に、同時にトモコが自分の服やバッグを大量に買い込んでいることには気が付かなかった。

 夜に新幹線で帰ってきたので、新大阪駅まで迎えに行く。その時にトモコから聞いた話。

 トモコが一泊した親戚の叔母さんの家に、今年の正月、3 年前に死んだはずの叔父さん、つまりその叔母さんの夫から年賀状が届いたのだそうだ。

 悪質な悪戯だと叔母さんは思ったのだけれど、あまりに筆跡がそっくりなので気味が悪く思い、調べてみた。すると、実は今から 15 年前に、2001 年にあなたの年賀状を届けよう、といった内容の催しがあり、叔父さんはそれに参加していたのだ。多分本人も死ぬ間際にはそんな事はすっかり忘れており、叔母さんたち家族も知らされていなかったがため、今回のような事態が起こったのだ。叔父さんは子供達全員に宛てても、また自分自身に宛てても、年賀状を書いていたそうだ。そして叔母さん宛の年賀状には、この新世紀に君がどこにいようと誰といようと僕は君を見守っている、といった内容のことが書いてあったという。

 この叔父さんと叔母さんは、親戚中でも有名な鴛鴦夫婦で、3 年前の死に別れは本当に可哀想だった、ともっぱらの評判だったらしく、それを思うと、今回の年賀状の話は結構泣けるなあ、と皆で言い合ったのだそうだ。

「病気の時は自分の家が安心するわあ」と、トモコはさっそく眠りについた。

小川顕太郎 Original:2001-Jan-13;