風雲児たち
本日、みなもと太郎著『風雲児たち』を読了した。このマンガは、約 20 年前に連載が始められ、30 巻で一応の完結をみ、現在は『雲竜奔馬』という続編が描き続けられている、〈20 世紀最大の歴史ギャグロマン〉だ。私とトモコはこのマンガが大好きで、ずうっと巻を追って読んでいたのだが、京都に引っ越した時に、生活の急激な変化もあり、読めなくなった。というか、買えなくなったのだ。『風雲児たち』は、発売直後は店頭に並んでいるのだけれど、しばらくたてば消えてしまう種類の本なので、京都に来てオパールを作ったりしているあいだに、勝手に完結して、勝手に消えていってしまったのだ。もちろん取り寄せればよい訳だが、それもなかなか面倒臭い。とかなんとかしているうちに、ずるずると今まできてしまった訳だが、アマゾンを利用するようになったおかげで、手軽に本の取り寄せができるようになり、これ幸いと、未読だった 27 〜 30 巻を取り寄せた。そして本日読了した、という次第だ。
いやあ、素晴らしかった。これは日本国民全員が読むべきマンガだと思うね。先日読了した平泉澄『物語日本史』にもいえることだけれど、はっきりした軸があるのがいい。『風雲児たち』は、関ヶ原の戦いにはじまり、ペリー来航前夜で終わる、まあ江戸時代を描いたマンガなのだけれど、全てが〈なぜ明治維新は行われたのか〉という軸によって描かれている。みなもと太郎は、その原因は関ヶ原の戦いにまで遡れる、と主張する。だから関ヶ原の戦いからマンガは始まるのだけれど、すべてがこのようにしっかりとした軸のもとに描かれ、明瞭で分かりやすい。かといってディテールの豊穣さは損なわれておらず、面白い。世界観、というものの大切さを、再確認した。ところで、このマンガの中で、みなもと太郎はこう主張する。幕末期、幕府はペリー来航などの事実を知りながら、民衆にはいっさいそれを知らさず、秘密裏にことを進めようとしたために、国内に無用の混乱をきたし、自らもその硬直した性質ゆえに瓦解せざるを得なかった、と。そしてそれは、第二次世界大戦時の日本においてもいえることだ、と。さらに一歩踏み込んで、現在の日本も同様ではないだろうか、と疑義を呈するのだ。
確かにそれはそうで、意図的に政府などが情報操作をしているというよりは、マスコミがバカになり過ぎて結果としてそうなってしまっているという構造的な問題の方が大きいとは思うけれど、重要な情報はほとんどマスコミ(新聞、テレビ、大雑誌)から流れることはなく、アホな記事や番組が溢れるなかで、なんだかしらないがこっそり事は進められている。重信房子の裁判もそうだし、盗聴法、ガイドライン法案、住民基本台帳法改正、などなどなど、みんなそうだ。
唐突だけれども、この『風雲児たち』というマンガ。これはまず間違いなく歴史に残るマンガだし、ちょっとマンガに詳しい人ならみんな知っている作品だが、店頭にはないし、一般にはあまり知られていない。これは『風雲児たち』が学会系の雑誌に連載されていたからか? とか勘ぐってしまうけれども、要はマスコミがアホになり過ぎているのだ。
などというと、たかがマンガに何を大袈裟な、と思われるかも知れないが、文藝の世界でも事情は同じで、そんな状況に対するリアクションとして、福田和也の『作家の値うち』があったりするのだ。全て同根の問題。
とにかくみんなもうちょっと批判的な精神を持たなくてはヤバいんじゃないか? とは思うものの、マスコミの力は絶大らしく、勝ち目はなさそうにみえる。となれば、やはり日本を救うのはファシズムしかないんじゃないかなあ、と妄想に耽る雨の一日でした。
参考リンク:「風雲児たち」長屋
小川顕太郎 Original:2001-Feb-29;