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 Diary 2000・9月5日(TUE.)

羅生門/地獄

 みなみ会館に中川信夫特集の一本「地獄」を観に行く。銀行に寄ってお金の振り込みをする関係上、早めに家を出たので、九条大宮のバス亭で降りた時はまだ上映までに時間があった。そこでフト羅生門跡に行ってみようと思い立つ。

 九条大宮には東寺があるが、ここは平安京の入り口だった。かつては東寺と西寺に挟まれる形で羅生門があり、そこから朱雀大路がドーンと大内裏まで続いていた、という。もちろん羅生門はもうないんだけれど、跡地はあったはず、と九条通り沿いにずっと歩いていく。

 キョロキョロしながらしばらく行くと、小さな地蔵堂が道沿いに立っていた。立ち止まって額に書かれた縁起などを読もうとすると、その地蔵堂の横の小道の先に小さな公園が見え、その真ん中に石碑が立っているのが見えた。もしやと思い行ってみると、案の定「羅生門跡」と書かれてあった。

 それにしても小さな公園だ。周りは住宅が建ち並び、羅生門を偲ばせるものは皆無。何が「跡」なのやらさっぱり分からない。しばらくシーソーに腰掛けて、来た道をとって返した。

「地獄」(1960 年)は、新東宝が潰れる直前、低予算で且つ社長の大蔵貢の無理解の中で撮られた。好き放題、八方破れに撮ったと言われる通り、なんだかよく分からない、壊れた作品だ。いくつかの強烈に印象を残すシーンによって、カルト作品として愛されているのだろう。

 私が一番印象に残ったシーンは、前半の現世の地獄を描く所でもなく、後半の地獄のシーンでもなく、ちょうどその真ん中に位置する、宴会のシーンだ。この宴会の後、なんと出演者は全員死んで地獄に堕ちるのだが、どう考えても本当に宴会をしているとしか思えない、なんだか異様に熱を帯びたシーンだった。宴会、本当にやってたんだろうなあ。

 そろそろ涼しくなってきて、窓を開けっ放しで寝ていたら風邪をひきそう。でも気持ちよいから窓は開けっ放しで寝るのであった。

小川顕太郎 Original:2000-Sep-7;