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 Diary 2000・3月6日(MON.)

『迷宮』そして『ゴースト・ドッグ』

 大西巨人の『迷宮』が光文社文庫にはいったので、先週の木曜日に買い求め、本日大いなる感銘を持って読了する。私的な「今年の一冊」が、はやくも決定した。2 、3 日前から私の日記のスタイルが微妙に変化してきているのは、この本の影響だ。様々な事について、猛省を促された。

 現在、大西巨人の代表作である『神聖喜劇』は、書店で売られていない。実をいえば私も読んでいない。学生時代にちくま文庫にはいったので、買わねばと思っているうちに書店から姿を消し、慌てて注文すれば「品切れ」という返事。現在の出版界では品切れ=絶版である。よほど売れるという見込みがなければ、増刷はされない。ゴミのような作品が、洪水のように出版され続ける現在、『迷宮』の文庫化は意義が大きいと思う。願わくば『迷宮』が大いに売れて、『神聖喜劇』をはじめとする他の大西作品も文庫化されんことを。

 この日記を読んで興味を持たれた方は、オパールで飲むコーヒー代を一杯削ってでも、是非『迷宮』を買い求めて欲しい。私が先週の木曜日に探したところ、「ふたば書房」「丸善」にはなく、ゼスト御池の「紀ノ国屋」には平積みしてあった。定価は 533 円プラス税。騙されたと思って、是非。

 みなみ会館にジム・ジャームッシュの新作『ゴースト・ドッグ』を観にいく。いい意味でスタイルが崩れており、なかなか楽しめる。様々な価値観が優劣もなく乱立し、道徳というものがほぼ崩れさっているかにみえる現在のアメリカ。そういった現状に満足できない種類の人々は、キリスト教、イスラム教、ラスタファリズム、ヒップホップ、等なんらかの信条を強く押し立てて生きていくことになる。

 主人公のゴースト・ドッグと呼ばれる黒人は、『葉隠』を自らの生きる指針としている。『葉隠』は、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という有名な一句で知られるが、ゴースト・ドッグも自らの信条に従ってか、最後には死ぬ。ここが議論の別れる所だろう。私的には、この死は肯えない。非常に閉じた、自閉的・自己満足的な死のように思える。彼は本をよく読む孤独な人間で、たった一人の友達とも、言葉が違うため意思の疎通が出来ていない。つまり非常に自閉的な世界で生きているのだ。一種のオタクと言ってもいい。

 最大の問題点は、彼が自らの主人とみなしている人間とも、伝書鳩を介してのやりとり以外は、していない事だ。つまり彼は勝手に主人を決め、勝手に忠義立てし、勝手に死んでいくのだ。これは自閉している。

 しかし「葉隠」にもあるように、「念々非を知るというも、談合に極まるなり。話を聞き覚え、書物を見覚ゆるも、我が分別を捨て、古人の分別に付く為なり。」。ゴースト・ドッグの最大の過ちは、自らの分別を捨てられなかった所にあるのではないだろうか。私の好きな「葉隠」の一節を引用しておこう。

「人間一生誠にわずかの事なり。好いた事をして暮らすべきなり。夢の間の世の中に、好かぬ事ばかりして苦を見て暮らすは愚かなることなり。この事は、悪しく聞いては害になる事故、若き衆などへ終に語らぬ奥の手なり。我は寝る事が好きなり。今の境涯相応に、いよいよ禁足して、寝て暮らすべしと思ふなり。」

 今日、3 月 6 日は足立正生の刑期満了日だ。足立正生は帰ってくるのだろうか。

小川顕太郎 Original:2000-Mar-8;