Book Review 1999・11月25日(THU.)
黒い神
平岡 正明
私はモッドであり、且つ現在はノーザンソウルを聴き踊りまくるオールナイターもどきでもあるが、モッドでもオールナイターでもソウルボーイでもそれがイイと思う所は、それらが基本的に非黒人の文化だということだ。つまり、黒人文化を愛する非黒人の文化。
主に音楽とダンスにおいてだが、黒人文化を愛する私も、世のいわゆる「ワナビーズ」といわれる連中には違和感を感じている。「ワナビーズ」とは、黒人文化に憧れて格好や動作までそっくりに真似る連中の事で、現在ではヒップホップ好きの中に多い。もちろんモッドやソウルボーイとて、当然の事ながら黒人の影響は大なわけだが、それと何から何まで真似するのとは大きく違う。この批判は、モッド文化に憧れてほとんどコスプレ状態にまでなっているモッド君達にも当てはまるだろう。
まず最初に型から入る、というのはアリだが、いつまでもそれではダメだ。とりあえずお互いの違いを認め、それから付き合い方を考えていく。そうやって出来たものが、真のモッド文化であるだろうと私は思う。要するに問題は、闘いは、人生は、あちらにではなく自分の所にある、ということだ。
ところで平岡正明である。左翼である彼は「左翼革命」という一点から黒人文化を捉える。とりわけこの本では、マイルス・デイビスの一生の闘い、音楽上の革命を、「左翼革命」として捉え論ずる。その筆致は例のごとく独断と偏見に満ち、強引ではあるが、私はこの筆者の姿勢に共感を覚える。マイルスはマイルスの闘いを闘った、俺は俺の闘いを続行する、というわけだ。あの世のマイルスに諸葛孔明の事を教える所など平岡の真骨頂だ。この本はマイルスについて書かれているが、平岡の闘いの本なのである。我々は我々の闘いを続けるしかない。
オガケン Original: 1999-Nov-25;
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