ランダム・ハーツ
「禁断と緊迫のサスペンス」って宣伝だから、ハラハラドキドキを期待しがちであるが、実態は「サスペンス」は稀薄な、不可能恋愛モノを装ったプロパガンダ映画であった。
まず「不可能恋愛モノ」とは何か? 恋愛映画も細かに見ると「可能恋愛モノ」と「不可能恋愛モノ」に分けられる。恋愛モノってのは、主人公たちの色恋と、それを邪魔する何モノかとの葛藤がドラマを生む。「可能恋愛モノ」の場合は、ヒーローとヒロインがくっつくのは当然の帰結で、それを他者が邪魔する。一方「不可能恋愛もの」は、彼らが、宗教・思想・信条・階級においてかけ離れており、恋愛を邪魔する何モノかは主人公たちが内在しているのである。
例えば『ある愛の詩』なんかは「可能恋愛モノ」であり、『ローマの休日』、『ノッティングヒルの恋人』など主に「身分違い」による困難を描くのが「不可能恋愛モノ」にあたる。あっ、5 分前に思いついたコトなんで突っ込まないでください。
さて、『ランダム・ハーツ』の不可能性は「身分違い」にある。クリスティン・スコット・トーマスは選挙を控えたアメリカ共和党の女性下院議員であり、ハリソン君は内務調査刑事(内務調査刑事というのは、警察官の犯罪を捜査する警察内警察のコト)。なぜお互いひかれあうのか? は本人らにとっても謎。その考察は稀薄である。要は、この映画は恋愛映画の外見を見せながら、きわめて政治的な主張を観客に刷り込もうとしている。
共和党女性下院議員の禁断の色恋沙汰という設定だが、これは、民主党クリントン大統領のセックス・スキャンダルを連想させる。映画の結論は「政治家だって人並みに恋愛してもいいぢゃん!」というモノで、結局クリントンを免罪するプロパガンダになっているのだ。
監督のシドニー・ポラックは大不況時代の貧困層の悲哀を描いた『ひとりぼっちの青春』、「ドロップアウト最高!」って感じの『大いなる勇者』、さらにアカ狩りを描いた『追憶』というフィルモグラフィが示すように、リベラリスト=民主党支持と推察され、クリントンに肩入れしているのだろう。選挙のイメージ操作を行う選挙参謀を監督自身が演じており、この『ランダム・ハーツ』という映画自体に世論操作の意図が込められていることを暗示しているのだ。…といい加減なコトを書くのはこれくらいにして。
前半、三つの物語が平行して語られ、いかに接点を持ってくるのか? という興味がありスリリングである。S ・ポラックは『アイズ・ワイド・オープン』に俗物の金持ちの役で役者として出演し、キューブリックの作家性を目の当たりにして「オレもいっちょうやったるか!」とスケベ根性を出したのか、今回は俳優の演技をじっくり捉えようとしている。おかげで 2 時間 12 分の長尺。「ランダム」というのは「圧縮できない」と同義であるが、この映画の場合は圧縮可能であろう。
ハリソン・アクションを期待せず、『追憶』あたりに連なる政治をからめた恋愛映画として見ればおもしろく見ることができる、かな?
BABA Original: 1999-Dec-25;
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