ソドムの市
1975 年公開、パゾリーニの遺作。映画史上の問題作ベストテンを選ぶなら、必ず上位キープ間違いなしだ。
『悪魔のいけにえ』が 1974 年、『ゾンビ』が 1978 年公開であったことを思い出そう。世紀末では微笑ましい残酷描写(って笑ってたのはボクだけ?)も初公開当時は、ごく一部の好き者を除いてたまらんものだったことは容易に想像できよう。あ、好き者も、たまらん! ってか。
『ピンク・フラミンゴ』は 1972 年。まだまだウンコが映画に登場することは少なかったはずだ。ちなみにボクが記憶している脱糞シーンを含む映画は、ヴェンダースの『さすらい』。余談でした。
さらに男同士のセックス・シーンにも拒否反応を示す人も、いっぱいいたに違いない(今でも?)。双葉十三郎氏も『ぼくの採点評』において『アポロンの地獄』には最高点に近い 80 点をつけているが、『ソドムの市』には 50 点。
背徳の美学がどうのこうのともっともらしい解釈をつける人もいるだろうが、ぼくは降参。お気はたしかかパゾリーニ殿。
画面どおり、クソくらえ、と申すべき映画です。(※)
…とコメントしている。うーむ。
さて、『デカメロン』、『カンタベリー物語』などの牧歌的、多幸感あふれる「生の三部作」を撮った後に、なぜ、大方の反感を買うような作品を撮らざるを得なかったのか? 『批評空間』、四方田犬彦×浅田彰『パゾリーニ・ルネサンス』(ソバさん、店主に感謝!)を読むと、パゾリーニは「私は〈生の三部作〉を撤回した」と言ってたらしい。〈生の三部作〉はなかったものとしてくれ、『ソドムの市』は、『テオレマ』『豚小屋』あたりに連なるものと思ってくれ、ってことで、『ソドムの市』は、パゾリーニのブルジョアジーに対する改めての宣戦布告なのだ。抽象的な描き方ぢゃ、ヤツらは痛くも痒くもなかった、ってことで、お前らのアホなところ・恥ずかしいところを思いっきり具体的に描いてやるぜ! との意気込みにあふれまくった作品なのだ(と勝手に想像)。
戦争末期にファシズム共和国があったというサロを舞台に、大統領、判事などのブルジョア野郎どもが若い男女を駆り集め、メチャクチャカッコいい屋敷で暴虐の限りをつくす。おっさん、おばはんのキチガイぶりが最高だ。お尻の品評会、ウンコの晩餐、拷問をながめてチンポをしごく、などなどなどなどなどなど。
エロ・グロ・ナンセンスにマヒ気味の我々にとっては、完璧な構図、スタイリッシュな編集にイてこまされて「う、美しい…」などとつい感じ入ってしまうが、ここではファシストは「悪」「俗物」以外の何モノでもない。「背徳の美学」、「退廃の美学」などというふにゃけた言葉は入り込む余地はないのだ(と思う)。
とにかく話がキチガイじみているからか、逆に語り口はパゾリーニ作品中、もっともオーソドックスなものとなっている。最も見やすい映画が、最も見たくないものを描いている、というパラドックス。とにかく、最高にぶっ飛んだ傑作中の傑作。
(※「ボクの採点評 III 1970 年代」双葉十三郎著 発行=トパーズプレス) BABA Original: 1999-Dec-10;
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