LOCK, STOCK
AND TWO SMOKING BARRELS
駅からの帰り、自転車で蝉と接触事故をおこしました。相手は瀕死です。 そのとき映画のことを思い出し、哀しみで心がほんの一瞬灰色になりました。ほんとに一瞬。
30 分前にロビーの椅子に着席していた事実からも、並々ならぬ映画への期待が自ら感じられ、これは受け付けのおねえさんに指摘されかねないと思ったほどです。
しかし期待が過ぎたのか、現実は映画のように厳しかったのであります。この映画のうたい文句としてはまずシナリオのおもしろさやクールさ、そして暴力のなかにもユーモア云々でしたが、私はなかなかにそういうのに馴染めない為、これはいけるぞと暗示をかけてから観ました。以下鑑賞中。…あれれなんだか知ってる顔だよこの俳優。あなたイングランドフーリガンからこよなく愛されてる人気暴力球蹴り人、ヴィニー・ジョーンズでしょ(やったあ)。きっと監督はスティングなんかより彼を使えたことのほうが嬉しかったに違いないね。…この国には警察というものは存在しないのか?ああ、また画面がストップモーションに…。
など、脅威の集中力欠如を発揮してしまいました。これは、私自身のせいだけではなくきっと映画にも問題があるに違いありませぬ。まずもってこの映画、カメラが厭味ったらしいのです。酔ってます、多分。それからちっともクールじゃないのです。もちろん冷めてる部分はあると思うんだけど、全体的なベースとしては、とっても熱い監督じゃないでしょうか。もしこの映画をクールというのなら、私の中のクールという概念が間違っているのでしょう。確かにお話として、6 つもの異なるグループを個別に錯綜させ、最後に纏め上げて見せる体力などには感心もしますし、それぞれのグループの力関係のバランスなどは見事ですやん、とも思いますが、個人的には観終わってしょんぼりしました。暴力をモチーフにしないとユーモアが描けないような状況になったのでしょうか。
その後、三条富小路の交差点に立っていると、目の前で勝手にバイクのおじさんが転倒し、うずくまってました。道行く人は誰も助けようとしません。それで私が声をかけ、助けおこし、救急車をよび、折れた腕の話などをして車をまっていると、どんどん溢れる野次馬が、私が犯罪者であるかのように視線で暴力をふるってくるではありませんか。なんでやねん…。そういうことも思い出しつつ、蝉には謝っておきました。
翌日、祇園会館にて『踊る大捜査線』をみましたら、『ロック…』よりはるかに面白く感じ、少し幸せになりました。気分に合っていたのかもしれません。もう前の日のことは忘れられます。