54」
マーク・クリストファー監督
10 代の頃、遅れてきたパンク・ニューウェーブ少年だった私はディスコなんて大嫌いだった。とはいうものの歳若き者の好奇心で何度か顔は出した。しかしそこでもかかっている曲や客のファッション、黒服の存在などがが気に喰わず、DJ にクラッシュの『ロック・ザ・カスバ』をリクエストして嫌がられたり、ロッカールームでボロボロのジーンズにはき変えて顰蹙を買ったりしていた。当然の流れとして私は直に当時台頭しはじめていたクラブに河岸を変えるのだが、要するに 10 代の頃の私に言わせれば、ディスコなんて曲はダサいし集まってくる連中はスノッブな糞野郎ばかり、ということになる。
では今ならどうなのか。曲に関していえば、長ずるにしたがってソウルへと嗜好が変化してきたこともあって、そんな十把ひとからげに悪いとは思わないようになった。素晴しい曲もたくさんある。で、その他の点は?ここで映画を観てみる。ファッションは、まあ、自分には関係ないけれど別に目くじらをたてる程のものではない。スノッブとゲイテイスト。では雰囲気はどうかというと、これがなかなかによいのだ。もちろん現実のスタジオ 54 ではスノッブ特有の嫌らしさがもっとあったのかもしれない。しかし映画に関していえば、マイク・マイヤーズ扮するスティーブ・ルベルのおかげで、パーティーの持つ狂騒的な華やかさと甘い余韻が画面を満たしているのであった。これは「パーティーは終わった(終わる)」という映画なのだ。私としてはこの「パーティー感」というのが非常に重要に思える。なぜなら現在のクラブに足りないのはこの「パーティー感」だと思うからだ。みんな日常の延長のような感覚でやってきて、勝手きままに踊りくるっている。無論それが台頭期のクラブの魅力であり、存在意義でもあったわけだが、今では単なる自堕落と見分けがつかなくなっている。クラブにこのパーティ感を齎すためなら、あの「服装チェック」をとりいれてもいい。誰にでも等しく与えられる「民主的」な楽しみなんてなんぼのものだと言うのだ。踊りだってみんなちゃんとステップを踏むべきだ。見苦しい踊りなんてお断りだ。とにかくパーティーは終わるのだ。映画が終わるように。そこをわきまえている点がこの映画を、あの『ベルベット・ゴールドマイン』のような糞映画から大きく引き離しているのである。
Original: 1999-Aug-04;