トニー滝谷
トニー滝谷の名前は、本当にトニー滝谷だった。…という書き出しで始まる村上春樹の短編小説を、『つぐみ』『大阪物語』の市川準監督が映画化、と申しましょうか、私がたまたま原作(『レキシントンの幽霊』所収)を読んでいたからそう感じたのかも知れませんが、市川監督は『トニー滝谷』をこう読んだ、あるいは、読んだらこんな映像が浮かんできた! ので映画にしてみました、との印象です。
市川監督が感じ取った原作の雰囲気を、慎重に映画に移し換えようとした試みで、「前衛的」「実験的」というほどではございませんが、ちょっと毛色の変わった作品でして、ダメな人はとことんダメ、しかしある程度、村上春樹作品をお好きな方なら「なるほど市川監督は、こう読まれたのですね」と、なかなかに興を催されるのではないでしょうか。
西島秀俊(『Dolls』の乞食)のモノローグ、というか、小説『トニー滝谷』を朗読する声に(少し、小説とは違う)、横移動の繰り返しでトニー滝谷の父(イッセイ尾形)と、トニー滝谷(イッセイ尾形)の物語が語られていきます。
二役・イッセイ尾形や、その奥さん・宮沢りえらがときおり、モノローグを引き継ぐ形でセリフを発する、というスタイルは、今、見ているのが[映画の中の役者さんの演技]であることを観客に再確認させ、感情移入状態がサクッと破られるのがなかなかに気色よかったりして、ちょっと面白い映画体験、ベタッとした感情移入を拒絶するクールなところが、村上春樹的かしらん? ってよくわかりません。
それはともかく、映画を見終わって原作を読み直してみると(すぐ読めます)、どちらも描かれるのは、とことん孤独なトニー滝谷という一人の男の人生というところは同じ、原作は、まあ、しょうがないですね、アハハハ、みたいな諦念の果てのユーモア、ペーソスを感じましたが、映画はなかなかに悲痛・沈鬱でございます。
イッセイ尾形と宮沢りえという血肉を持った役者さんが演じてみれば、同じ話でも喚起される感情はずいぶん違うものでございますね。
孤独に暮らしてきたトニー滝谷が、度肝抜かれるような別嬪さんと結婚し、しかも彼女が良妻賢母であったら(子供はいないので「賢母」ではない)、トニー滝谷は世界一の幸せ者でございましょう。しかし彼のセコイひとことが元で奥さんが亡くなったとしたら、一気に不幸のどん底に突き落とされたに違いなく、原作小説では、そのへんさらりと描かれ、深い悲しみはクールな文体の行間に隠蔽されたのに対し、映画もクールな語り口なれど、ガーン! と悲しみが前面に出た、という印象を受けました。[映画=感情]であることよなぁ、と、一人ごちたのでした。
そんなことはどうでもよくて何といっても、宮沢りえちゃん! 『釣りバカ日誌12』『たそがれ清兵衛』『父と暮らせば』「サントリー伊右衛門」のCM、堂々たる「映画女優」ぶりで、今まさにキャリアの絶頂期、そういう女優さんをリアルタイムで拝める[幸福な映画]と申せます。
宮沢りえが演じるトニーの奥さんは、重症のファッション・ヴィクテム(80年代的ですね)、洋服をとっかえひっかえするのを、彼女の足首と靴で見せるシーンが素晴らしく(足首は代役かもしれませんが)、私、特に足首フェチではありませんのに茫然と感動しました。やはりキャリア絶頂期の女優さんならではのオーラでしょうか? よくわかりません。
宮沢りえも二役で演じる、現代風の娘さんが、死んだトニーの奥さんの洋服の群れに囲まれて茫然と涙するシーンは、なぜ泣いているのかわけもわからず、しかし私もつい、もらい泣きしてしまったのですけれど、観客を、論理を超越して共感させられる者こそすぐれた映画女優なのである。うむ。
『運命を分けたザイル』同様、これまた、読んでから見て面白く、見てから読んでも面白い作品に仕上がっている、と、ごちました。上映時間はたったの75分、凡庸な監督・製作者なら「やっぱり100分くらいでないと…」と余計なものを足してしまうところ、何も足さず、何も引かないで作ったらたったの75分でした! って感じ、ダメな人はとことんダメでしょうけれどオススメです。
☆☆☆★★ (☆= 20 点・★= 5 点)
BABA Original: 2005-Mar-17;- Amazon.co.jpで関連商品を探す
- 本『レキシントンの幽霊』