コールド・マウンテン
もう、あなたの他に命を捧げはしない。ババーン! ジュード・ロウ、ニコール・キッドマン、レニ・ゼルウィガー主演、脇役でドナルド・サザーランド、フィリップ・シーモア・ホフマン、ナタリー・ポートマンも出演、お話は、ジュード・ロウが南北戦争の悲惨さを目の当たりにして脱走兵となって、故郷の恋人に会うためえんえん歩くという、製作にリベラル映画人シドニー・ポラックが加わって「遠くへ戦争をしにいくのはアホですよ」とタイムリーなテーマ、面白くなりそうなのですが、監督は『イングリッシュ・ペイシェント』のアンソニー・ミンゲラなもので、悲壮かつ壮大ではありますが退屈でございます。
ジュード・ロウが横断するアメリカ大陸の風光明媚な風景にため息をつきつつ、あれこれ苦難が訪れても、なかなかスリルやサスペンスが盛り上がらないのは、遠く離れてしまったジュード・ロウと、恋人ニコール・キッドマンが再会するまで細かくカットバックで描くという手法がダメなのでは?
この欠点は『ファインディング・ニモ』も同じ、離れてしまった登場人物 2 人が接近するのを、短いカットバックで描くと、二人の距離感やら、離れてしまっている悲しみ・寂しさが薄くなるし、再会できるのは自明の理となってしまいます。例えば前半=ジュード・ロウ編、後編=ニコール・キッドマンという具合に、それぞれ一時間づつジックリ描いた方が、よっぽど面白くなるはず。というか、ニコール・キッドマンは特別出演くらいにとどめて、一貫してジュード・ロウの物語とした方がよかったのでは? と一人ごちました。
カットバックで描くなら、それぞれのパートが呼応しなければならない、とも思うのです。例えばニコールの目の前を黒猫が横切り、下駄の鼻緒が切れたら、ジュードに苦難が訪れる、という具合に。あるいは、猫が顔を洗って、土砂降りになるとか(それは違う)。
それはともかく、ジュード・ロウの物語はホメロスの叙事詩『オデッセイ』を下敷きにしています。故郷で待つ恋人が何をしているやらさっぱりわからない、というところが味なのに、って私、『オデッセイ』は読んでいないのでよくわからないのですけど、味なはずで、例えば映画でいえば、戦場から故郷をめざす兵士の物語『人間の條件』(小林正樹監督)は、一貫して主人公・梶(仲代達也)の視点で語られ、故郷にいるはずの妻(新珠三千代)は、無事だろうか、元気だろうか、浮気などしてやしないか、などそういう不安が入り交じり、もう帰るのやめようかしら? と弱気になったり、やっぱり望郷の念が盛り上がって、観客私も身を引き裂かれる思いを味わうのですが、この『コールド・マウンテン』ですと、むしろジュード・ロウは、アメリカの美しい風景を堪能できるし、別嬪さんナタリー・ポートマンの添い寝も出来るし、このまま放浪を続けた方が楽しく過ごせるのではないか? という印象でございます。
ニコール・キッドマンのパートでは、お嬢さん育ち令嬢ニコールが、南部のゴッド姉ちゃんに変貌していく過程が描かれます。ジュード・ロウが愛したのは、田舎町にあって、都会の洗練を感じさせたニコールなので、苦労して故郷に帰ってみれば、すっかり別人に変貌していてガッカリするはずでは? あるいは、見かけや性格は変わっていても、変わらないサムシングを発見する、みたいな描写が無いとダメなのでは?
とはいえ、『ドッグヴィル』でも好演ニコール・キッドマンが、南部女性に変身してライフルをぶっ放すシーンは素晴らしくカッコよくてオススメ。ですが、それはそれで一本の映画で見たい物足りなさを感じ、またニコールを助ける生粋の南部女性、過剰な南部訛りを披露するレニ・ゼルウィガーの芸達者ぶりも見どころ。ですが、それはそれで一本の映画で見たかった。とりあえず、美しい風景をご堪能いただければよろしいかと。
☆★★(☆= 20 点・★= 5 点)