CASSHERN
CASSHERN がやらねば誰がやる! ババーン!
さてネタ切れ気味アメリカ映画は、リメイク、テレヴィドラマやアメリカンコミック映画化で延命をはかっておりますが、どうやら日本映画もネタ切れ青息吐息状態、『CASSHERN』、『キューティー・ハニー』、『デビルマン』と、過去のアニメの映画化作品が続々公開予定でワクワクしつつ、日本映画もついに末期症状を迎えたのではないかー? と、漠然とした不安に襲われた私なのでした。
そんなわけで、恐る恐る鑑賞にのぞんだ『CASSHERN』ですが、なかなか面白かったのです。レビューを書いてみたらメチャクチャ長くなってしまいました。すいません。
それはさておき、『CASSHERN』は、誰もが楽しめる娯楽映画を目指していない点が素晴らしいです。ではどういう映画なのか?
●ファッションフォトグラファーの映画
監督の紀里谷和明氏は、ファッションフォトグラファーとして活躍、その後ミュージックビデオを演出され、その手腕を高く評価された方だそうです。『CASSHERN』には、いくつか「お! カッコいい!」と一人ごちたカットがあります。まずこれはファッションフォトグラファーの映画なのであった。
例えば。キャシャーン誕生までがやたら退屈でして、そういう退屈さを満喫した後、「ただいまボディスーツ装着中、キャシャーン登場まで、もう少しお待ちを!」と、言わんがばかり、棚に置かれたキャシャーン・ヘルメットがババーン! と映し出されるカットがカッコいいです。「これから超絶アクションがくり広げられるに違いない! ワクワク!」と、私の期待はいやが上にも高まったのでした。
その後、ブライキング一派に攻め込まれ、未完成キャシャーンが痛めつけられて血まみれのボロボロになるところも、画面の荒れ、見にくさ、発色の変な感じに目をつぶれば、同じくファッション・フォトグラファーであるウィリアム・クライン監督作『ミスター・フリーダム』の写真を想起させます。口だけ装甲で覆われたキャシャーンのポスター写真もなかなかカッコいいですよね? …って誰に聞いているのかわかりませんね。
さらに! 驚いたことに、最初のこのアクションで、キャシャーン・ヘルメットが、ぶっ壊れてしまう! いわば、監督の「普通のキャシャーンを見せるつもりはないよ!」との意思表明であり、結局アニメでおなじみのキャシャーンスタイルは登場せず、アニメを部分的に参照しつつも、「紀里谷和明、The フォトジェニック・ワールド」が展開するのであった。
●「ヒーローアニメの実写映画化」の枠を踏み越えようとする映画
また、アメリカ映画ヒーローものリメイクならば、『バットマン』(ティム・バートン監督)、『スパイダーマン』(サム・ライミ監督)、古くは『スーパーマン』(リチャード・ドナー監督)にしても、まず中心的なターゲットの原作ファンのオタクごころを満足させつつ、原作を知らない層にもアピールするようアレンジを加える、というのがセオリーのひとつでしょう。ヒーローのブランド・イメージが、きっちりコントロールされるのが一般的ですけど、この『CASSHERN』の場合、紀里谷監督オリジナルな、というか、個人的な CASSHERN 世界が展開します。その世界は、暗くグロテスクなロシアアヴァンギャルドで、およそアニメ版とかけ離れております。
すなわち、「アニメの映画化にふさわしく、愉快な娯楽映画として作らねばならぬ」とか、「オリジナルを尊重し、ファンを満足させねばならぬ」などの、既成概念に囚われた要請を無視、好き放題自分の世界を展開しているのが凄いです。ネタバレですが、ラスト、CASSHERN はあっさり死んでしまうので、続編は(きっと)作られない点も、アメリカのヒーローものとは異なって、一本勝負の潔さがあります。
さらに、ストーリーは今日のイラク情勢を連想させます。「いかに戦争を終わらせるか? 憎悪の連鎖をいかに断ち切るか?」というアクチャルな課題に挑んでいる点も、評価できるのではないでしょうか? そのアップツーデイトな政治性は、『バトル・ロワイアル II 鎮魂歌(レクイエム)』に匹敵する、と私は一人ごちたのでした。…そういえば、キャラ立ち不十分なまま勝手に盛り上がって、観客が置いてきぼりにされる点も『バトル・ロワイアル II』に似ておりますね。ドラマがないのに、ドラマチックみたいな?
●ヴィジュアルについて
「アニメの映画化」という企画の安さに流されず、自らの主張をたたきつけた紀里谷監督のその意気やよし! なのですが、いかんせん、やはり、MTV 監督には、なかなか面白い映画は撮れないのであった。
まず、CG で創られた CASSHERN 世界の、建築やらメカやらが、もっさいのです。マルチメディアでインタラクティヴな CG にありがちなイメージでして、さして目新しくない話の上に、ヴィジュアル的にももっさいのはいかがなものか。
また、実写と CG を違和感なく融合させるためか、ほぼすべてのカットにエフェクトがかけられているのは、押井守『Avaron』と同趣向なのですが、監督の確たるヴィジョンで全体を統一しようという意志が見受けられません。シーンごとに赤くなったり青くなったり白くなったりモノクロになったりモヤモヤしたりザラザラしたり、見た目がころころ変わって違和感ありまくり、実写と CG の差は消えたかもしれませんが、映画全体が違和感のかたまりになってしまったみたいな?
私事ですが、後日私はエンキ・ビラル監督『ゴッド・ディーバ』を鑑賞、そこで実写と CG の共存の理想型のひとつを目撃しました。『CASSHERN』と『ゴッド・ディーバ』のヴィジュアルは、月とすっぽんでございまして、結局のところ「映画に、一貫した美意識があるかどうか?」がカギなのでしょうね。『CASSHERN』の CG に脱力された方は、『ゴッド・ディーバ』がバチグンのオススメですよー。
●MTV 監督に関する考察
また、平成『ガメラ』シリーズの特撮監督・樋口真嗣が絵コンテを担当した数少ないアクションシーンは、アニメ版『キャシャーン』を彷彿とさせるカッコよさがあるようなないような気がするのですけど、これがまたエフェクトかけまくり、カット割り過ぎで何が何やらさっぱりわからず、いかにも「MTV 監督が撮った映画」の印象です。
ここで少し「MTV 監督が撮る映画」について考えてみましょう。
「エフェクトかけまくり、カット割り過ぎ」というのが、MTV 監督にありがちな傾向です。そら、多くのミュージシャンは、エフェクトかけまくってカットをがんがん割らないと間が持たないのかも知れません。しかし、こと映画の場合は、ジッとカメラ据えっ放しでも観客の眼を退屈させないくらいに、撮るべき対象のクオリティを上げるべきだと思うのです。キューブリックの『2001 年宇宙の旅』が、なぜ、あそこまで少ないカット数で、鮮明な画像を保ったまま、一本の映画として成立しているか? そこんところを考えるべきではないかしら。
MTV の場合は、撮る対象のクオリティを上げる余裕がなくても、CD が売れればそれでオッケー、「エフェクトかけまくり、カット割り過ぎ」手法の手っ取り早さが求められるわけで、問題は映画が「MTV 化」していることにある。
映画の劇場公開が、DVD やサントラ CD を売るための販促手段・プロモーションの一環になってしまっているのではないか? CM でパッと目をひく映像を作れば上出来、映画本編は、まともに仕上げられなくていい、って感じ? MTV 監督が撮る映画は、DVD や CD を売るための「販促映画」ではないか? と私は問いたい。
この『CASSHERN』がただの「販促映画」である、と申すわけではございませんが、きっと主題歌 CD は馬鹿売れし、半年後くらいに発売される DVD も、馬鹿売れするのではなかろうか? MTV 監督による「販促映画」は、効率よく客の財布から金をかすめ取る、エクスプロイテーション映画の高度に洗練された形態と言える。
●紀里谷監督が映画にこめたメッセージについて
閑話休題。次に、「普通の、ヒーローアニメの実写化」を作ることを敢然と拒否して、紀里谷監督が映画にこめたメッセージについて考えてみます。
報復戦争が続く現在にあって、「憎しみは憎しみを生み出すだけで、互いの存在を許し合うことこそが大事」、とこの作品はメッセージを発します。しかし、この世には許せないものがあるし、「許す/許さない」とは(ほとんど)関係なく起こるのが戦争というものだと私は思うのです。
そもそも「フセインが大量破壊兵器を持つのが許せない」として始められたのがイラク戦争ですよね? そんなことは、実はどうでもよかったことが明らかになってきているのではないですか? アメリカは無体な武装解除要求をイラクにつきつけ、譲歩を重ねさせたのに、結局侵略してしまったわけで、「許せないから戦争をする」ではなく、「まず戦争したいから、決して許さない」というのがアメリカの論理です。アメリカが戦争するのは、兵器の在庫一掃、石油やら復興事業の利権確保やらが動機なのであり、「許す/許さない」は関係ないのでは?
一方、米英占領軍にテロ(というか、レジスタンス)闘争を仕掛けるムジャヒディン(イスラム戦士)の場合は、まさしくイラクで行われている虐殺が“許せない”わけですが、こういう局面においてただ「お互いの存在を許そう」とメッセージを送るのは、無邪気ではないか。マルコム X の言葉「私は自衛のための暴力を暴力とは呼ばない…知性と呼ぶ」にならうなら、脳天気と言ってもよい。この『CASSHERN』の「許すことが大事」というメッセージは、結局のところ的はずれではないかしら? と私は一人ごちたのでした。
●まとめ
というわけで、MTV 監督が劇場用映画を初監督する場合は、
- ひとつ! CG は絶対使いません!
- ふたつ! 主義・主張をセリフで説明するのでなくドラマに落とし込みます!
- みっつ! 作者の主義・主張に意味があるのかどうか? を色んな視点から検証します!
この三点を掟としていただきたいな、と。
とはいえ、及川光博は、どす黒さに覆われた作品の中で、燦然と輝きを放つバチグンの好演! また、雨上がり決死隊の宮迫も、あーあー言うてるだけですが笑わせていただきました。この宮迫の心象風景みたいな、妙な人形アニメが一瞬挿入されるのも面白かったです。ちょっとしたどんでん返しも、意表を突かれました。
この『CASSHERN』の後に、『ゴッド・ディーバ』を見ると、「ああ、CG 使いまくりでもこんなに素晴らしくて美しくて面白い映画が撮れるのですね!」と大感激できますので、『CASSHERN』→『ゴッド・ディーバ』、この順番での鑑賞を強くオススメします。
☆★★(☆= 20 点・★= 5 点)