マスター・アンド・
コマンダー
1805 年――。偉大なナポレオン軍にたち向かうため、戦火の大海原にまだ幼い少年たちはいた。伝説の艦長を信じて……ババーン! ん?
公式サイトのあらすじにも、「イギリス軍は年端も行かぬ少年たちをも戦場に送り込んでおり、戦う術を知らない少年たちはひたすら艦長を信じ、愛する家族に再び会える日を夢見て戦うが……」みたいなことが書いてありまして、私は、「んんん? なんだなんだ、私の見た映画と違うぞ!」と色めき立ったのでした。
私の場合、そもそも映画の宣伝なんて嘘ばかりと鼻から信じていないのでよいとして、宣伝を信じた観客が大騒ぎ、暴動がおきやしないかと冷や冷やしながら鑑賞したのですが、大丈夫でした。
もちろん同じ映画を見ても、人によって全然違う映画を見てしまうというのはよくある話、私も、時々うつらうつらと夢の中で架空の映画を見てしまうので、この作品の宣伝担当氏も、きっと人員削減やら何やらで大変、睡眠不足だったのでしょうね、と同情を禁じ得ない。
そんなことはどうでもよくて、監督はピーター・ウィアー。『ピクニック at ハンギング・ロック』で少女消失事件の謎を謎のままごろんと投げ出して私の度肝を抜き、80 年代、『危険な年』『刑事ジョン・ブック/目撃者』『モスキート・コースト』と意欲作・傑作を連発、オーストラリア出身だからか、西洋流合理主義が通用しない「辺境」「周縁」を描いて「プチ・ヘルツォーク」といった感じ、私の好きな監督さんの一人でございます。ピーター・ウィアーの作品では、たいてい、別の文明・別の文化・別の価値観が提示され、現代資本主義社会批判が行われるのであった。
今回は、「別の戦争」が描かれます。19 世紀初頭の海の戦場は、功名と報奨金目当ての志願兵ばかり、厭戦・反戦気分は存在しません。大砲から発射されるのはただの鉄の玉で、至近距離まで近づかなければならず、最後は肉弾戦が雌雄を決する。かつて海戦は、地球の果てで行われ、誰にも迷惑をかけないものだったのですね。
ここでは「殺して、ぶんどる」という戦争の本質が顕わになっております。近代戦争は戦争の本質をおおい隠し、大義をふりかざして一般民間人が巻き添えになる。深読みですが、『マスター・アンド・コマンダー』は、19 世紀海戦をリアルに描いて、「殺して、ぶんどる」戦争の本質を明らかにし、現代の戦争がいかに欺瞞に満ちているかを批判するのであった。
ネタバレですが、激戦の後、ラッセル・クロウ艦長「よし! もうひと暴れだ!! 全速前進!」とばかりに勇躍、戦いを継続します。エンディングは爽やかなものです。もし「愛する家族に再び会える日を」夢見た兵士がいたなら迷惑な結末、好戦的な結末なのに、ぜんぜん嫌じゃないのは、戦争好きが、勝手に殺し合ってるからで、こういう好戦映画はどんどん作っていただきたい、と私は一人ごちたのでした。
そんなことはどうでもよくて、イギリス軍艦とフランス軍艦の一騎打ち、戦力的に不利なイギリス艦は、トンチを発揮して勝負を挑むのですけど、『眼下の敵』(1957 ・ディック・パウエル監督)や『日本海大海戦』(1969 ・丸山誠治監督)のような戦略の面白さは希薄ですし、『U-ボート』に比べるまでもなく兵士のキャラ立ち弱くて、ピーター・ウィアー昔の戦争映画『誓い』に比べてもドラマとしての盛り上がりも欠け。
当時の帆船軍艦の中がどんな感じで、兵士はどんな風に生活し、どんな風に戦闘が行われたか? というマニアックなところは克明に描かれていてそれはグー。
地球の果て・ガラパゴス諸島にロケを敢行、艦長の親友ポール・ベタニー(『ビューティフル・マインド』でも、ラッセル・クロウの親友役)が、博物学に興味を持つ船医で、ダーウィン『種の起源』前夜が描かれ、あんまり本筋に関係ないけど面白いです。ガラパゴス諸島のもの凄い風景が見どころ、オススメ。
☆☆★★(☆= 20 点・★= 5 点)
BABA Original: 2004-Mar-10;