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 Movie Review 2004・4月28日(Wed.)

片腕カンフー対空飛ぶギロチン

cover  ジミー・ウォングの傑作カンフー映画がリヴァイヴァル公開です。ちなみにこの RCS「東一条チャオ! シネマ」での上映が京都初公開とのこと。ちなみに日本語字幕担当は、町山智浩氏。

『キル・ビル Vol.1』で、タランティーノがオマージュを捧げて話題となった作品です。「空飛ぶギロチン」と言ってもゴーゴーボールとだいぶん違って、布っぽいふにゃふにゃした帽子みたいなもんなんですが切れ味抜群。「空飛ぶギロチン」使いのおじいさんが登場するたび、ボインボイン、ボインボインと妙な BGM が流れ、ギロチンが発射されるたびバッキューン!! と効果音が鳴り響くところなんかが引用されていたわけですね。ふむふむ。

 そんなこと抜きにしても、カンフーを取り入れ消化不良の現代アメリカ・アクションに、ほとほとうんざりする私は、「これこれ、これこそカンフー映画ですよ!」と一人ごちました。タランティーノがリスペクトするのも頷ける大変な傑作でございます。

『キル・ビル Vol.1』は、プログラム・ピクチャ、B 級映画…というか、“エクスプロイテーション映画”の面白さを大いに溢れさせました。“エクスプロイテーション映画”とは何かといえば、『興行師たちの映画史(柳下毅一郎著)を読みますと、ただひたすら、観客の財布から銭を搾り取るために作られ、芸術性・作家性・社会性なんかは二の次とされる映画だそうです。本来、映画とは興行師、エンターテイナー、山師たちが、ひと山当てようとする営為によって発展してきたものなのであった。リュミエール兄弟のシネマトグラフも、そもそも見せ物だった、というわけですね。

 ということは、興行、見せ物の面が強くなるほど、映画はその出自に忠実なものとなり、映画の根源的な面白さが満ちることになる。かもしれない。

 このジミー・ウォング監督・主演『片腕カンフー対空飛ぶギロチン』は、まさにジミー・ウォング一座の興行・見せ物の雰囲気で、見せ場と笑いの連続、見る者を忘我の境地にたたき落とします。

 さてお話。は、どうでもいいのですけど、『片腕ドラゴン』(私は未見)の続編にあたります。空飛ぶギロチン使い謎の老僧が登場、片腕カンフーに弟子を殺され怒り心頭に発し、思わず屋根を突き破って仇討ちに出かけます。

 刺客が迫っているのも知らず、片腕カンフーはのんびり道場で弟子の稽古をつけております。ジミー師範、「今日は、体重を無くす術を教える!」ババーン! 地面にただ置いただけのカゴのふちを、鮮やかに軽やかに、ひょいひょい歩くジミー師範、超お茶目です。『グリーン・ディスティニー』『英雄』、あるいは『キル・ビル Vol.2』のように、カンフーの達人は自分の身体を軽くできないとダメですね。

 この「体重を無くす術」は、伏線でもなんでもなく、ただジミー師範が観客をビックリさせるためだけに披露した、純粋こけおどし、観客私は「まいりました!」といきなり降参、しかししかし! ジミー師範は追い打ちをかけるように壁を歩く! 天井を歩く! …もう、武術というより曲芸です。なるほど優れた武術家は、すぐれたエンターテイナーでもあるのだな、と一人ごちたのでした。

 そして…って、ますますお話はどうでもよくなっているのですが、その後、ジミー師範の解説でえんえんくり広げられる武術大会も「見せ物」感が満点です。アジア各国代表による異種格闘技戦で、カンフー各流派、ムエタイ、「躍馬次郎」なる日本人の「無刀流」、さらにインドのヨガ。ヨガ? ……ヨガは格闘技なのか? ともかく、このヨガ使い、ビヨーンと腕が 2 メートルくらい伸びたりして、もはやビックリ人間大集合のおもむきです。

 日本人、「無刀流」躍馬次郎の戦いに対する、ジミー師範のコメントが素晴らしいです。躍馬次郎は「無刀流」を名乗りながらも、隠し持った剣で相手を刺し殺す! めちゃくちゃ卑怯です。ジミー師範曰く

「何が『無刀流』だ! ……参考にさせてもらおう」

 …参考にするんかい!? うーむ。

 さて、カンフー映画はまず「見せ物」であるとともに、武術家自身が主演・監督すれば、その武術家の「武術書」としての面を持ちます。この『片腕カンフー対空飛ぶギロチン』も、一ヶの優れた武術書、あるいは哲学書になっております。

 先の躍馬次郎に対するコメントからもわかるように、ジミー師範の武術の極意は、「勝ったもん勝ち」です。勝つためには手段を選ばず、きっちり戦略を練るところが素晴らしいわけです。

 同じように、武道家であり優れた映画人であるブルース・リーの場合、ジミー師範と違って「勝ったもん勝ち」という思想ではありません。この違いは演出にも表れており、ブルース・リーは戦いが進むに連れ、必ず上半身裸になる。それは正々堂々、己の身体のみで戦う意志の表明であります。ブルース・リーにとって武術とは、まず己との戦いであり、美しく勝つことが優先される。「あるべきカンフー」に添う形が求められている。戦いは己を高めるために行うものであり、ぎりぎりの接戦で勝たなければ意味がない。

 対してジミー師範は、最後まで服を着たままです。もちろんジミー師範の場合、ふところに片腕を隠さねば「片腕カンフー」が成立しないという事情はありますが、美しいかどうかは問われない。ふところに片腕を隠した姿は、滑稽であっても美しくはない。

 空飛ぶギロチン使いを倒すのも、弟子を総動員して罠をしかけ、余裕をもってなぶり殺すというもので、勝ち方は泥臭く、ひょっとしたら卑怯かも? しかし、「勝てば何でもオッケー」な戦略にこそ、「武道」の根本原理があるのではあるまいか? あるいは「兵法」と言うべき? ブルース・リーは映画で「武道」を展開したが、ジミー師範は「兵法」を展開しているのだ、と私は茫然と一人ごちたのでした。

 そんなことはどうでもよくて、カンフー映画のオリジンであるばかりでなく、映画とはそもそも「見せ物」である、そのことに徹底的に自覚的な作品です。すべての画面に映画がつまっております。バチグンのオススメ。

☆☆☆☆★(☆= 20 点・★= 5 点)

BABA Original: 2004-apr-27
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