刑務所の中
花輪和一の同名漫画を崔洋一監督が堂々映画化。特にドラマチックな事件があるわけでなく、刑務所の中の不条理な日常を丁寧に描き尽くします。
“不条理”、と、うっかり申しましたが、果たして刑務所の中の日常は不条理なのでしょうか? という問題意識に、私は卒然と囚われたのでした。確かに、木工作業中ポトリと落とした消しゴムを拾うために大声で「願いまーす! 願いまーす!」と許可を求めて叫ばねばならない、大の大人が真顔で「わーしょっい! わーしょっい!」と天付き体操を行う、「手こすり始め!」の号令とともに囚人たちがいっせいに手こすりを始める、など、頭がグネグネになって大爆笑せざるを得ない不条理シーン続出なのですが、しかし、私の住む“刑務所の外”こそ不条理なのであって、刑務所の中には日本人の本質にマッチした生活がこっそりと保存されていたのではなかろうか?主人公・花輪さんは、刑務所の中をつぶさに観察し、そこに、苦役ではなく、刑務所の外では味わえない、確かな、小さな幸福の数々を発見していきます。
刑務所の中にあるのは、厳格な規律です。「気をつけ」では指先までビシッと伸ばさなければ怒鳴られてしまう、など、自由な行動は規制されております。しかし、脳内は自由なのである。欲する物を自由に購入し好きな時に食べることは不可能ですが、3 度 3 度キッチリと支給される食事を何よりも楽しみにすることは可能である。規律・質素・倹約…これぞ、近頃の、欲望を開放することをもって良しとする高度に発達した資本主義社会・日本では失われた美質であり、規律・規則でがんじがらめの日常内で、微妙な差異に一喜一憂するその精神は、茶道の侘び・寂びに通じるものがあるゾ、と、私は呆然と感動したのでした。刑務所の規則・規律は、“作法”と読み替えることも可能なのである。というか、厳格な規律に従いつつ脳内で思考を自由に巡らせるのは、“禅”の精神ではないのか? ってよく知りませんが。
この『刑務所の中』を見た観客は、「一度は刑務所の中に入ってみたい」と思うのではないでしょうか? それは、欲望を開放させた「刑務所の外」こそ不条理の世界であり、規則正しく質素・倹約に励み、日々の糧を慈しむ生活にこそ幸福がある、と感じるからなのであろう。って適当。
それはともかく、日常の瑣末な事象を丁寧に、淡々と描写していく、というのは小津安二郎、成瀬巳喜男に連なる日本映画の伝統でもあります。強烈にまで日本的な映画であり、それゆえに、世界に通用する近来稀に見る傑作である、と私は呆然と感動したのでした。バチグンのオススメの名作。お見逃しなく願いまーす!
☆☆☆☆★★(☆= 20 点・★= 5 点)
(BABA)