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 Movie Review 2002・10月31日(THU.)

オテサーネク

『悦楽共犯者』も最高でしたが、今回のヤン・シュワンクマイエル新作も最高でした。

 子供ができなくて悶々とする夫婦。ある日、夫が掘り起こした木の切り株が、赤ん坊みたいなんでふざけてホレご覧と妻に見せます。すると妻、すっかりその気になって切り株を赤ん坊として育て始めてしまいます。あらあらどうしたことでしょう。切り株に生命が宿り、がつがつご飯を食べるようになってさあ大変! ババーン! …というお話。

 チェコに伝わるらしい民話を現代に置き換え、民話に言及しつつ進行する、大爆笑コメディであり、大恐怖ホラーであり、大ほのぼのホームドラマであり、…と、様々な見方、解釈が可能な重層的な作品です。例えば、「切り株を育てる」とは「環境行政」の寓意であり、自然保護にお金をつぎ込んでみても、そもそも自然は制御不可能なので、際限のない事態に陥いる、との警句を読みとってみたり、現代の子供がおかれている状況――大人にとって子供は理解できない存在であり、大人は望んで子供を作るのに意に染まない成長を遂げるや、子供を捨てたり殺そうとしたりするのだ、と洞察してみる、とか…って、何をワケのわからないことを言っておるのだ私は。

 そんなことより繰り出されるシュールリアリズムイメージが最高です。日常の光景にもシュールが漂う。鍋からシチューを皿によそう動作がくりかえされますが、なにげない行為に「もうひとつの現実」がヒョコッと顔をのぞかせる。

 ところで、今回、ワンカットだけ CG が使われていますが、基本はいつものカクカクしたコマ撮りです。それでも圧倒的な恐怖と爆笑を呼びます。シュワンクマイエルは CG が嫌いだそうで、なぜなら「触覚的・嗅覚的」でないからと語っておられる。私も CG 嫌いなんですけれど「なるほど」と独りごちる。映画とは視覚と聴覚の芸術ですが、同時に触覚的・嗅覚的でなければならない。ビデオで映画を見ると面白さのほとんどが失われてしまうのは、フィルムの触覚的・嗅覚的な要素が失われてしまうからなのだなあ。

 CG は、フィルムを画素に分解してコンピュータに取り込み、あれこれ加工を施すわけで、すると、本来持っていた触覚・嗅覚がポロポロこぼれ落ちてしまう。最近は最初からデジタルで撮影する映画もあり、それはそれで合理的な考えなのですけれど、映画の持つ無意識下の面白さを見落としていることに他なりません。『少林サッカー』が CG を多用していながら、あんなにも素晴らしかったのは、CG が手触りを感じさせるものだったからなのだなあ。

 余談はさておき、シュワンクマイエルの映画は、デジタル技術が利用されまくる最近の映画群にあって、格別の肌触りと匂いを放っているのであーる。適当。…でもないか。

 ともかく、現代最高の映画作家/芸術家シュワンクマイエルの新作を、新作として見られる快楽に身を委ねよ。決して見逃すなかれ…って、京都初公開時ウッカリ見逃しちゃってたんですけどね。ナハ。京都イタリア会館でのアンコール上映も終わってしまいました。132 分の上映時間はちょっと長い気もしますが気にしません。バチグンのオススメ。

☆☆☆☆★★★(☆= 20 点・★= 5 点)

BABA Original: 2002-Jan-31;

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