活きる
『あの子を探して』『初恋のきた道』のチャン・イーモウ(張藝謀)監督の、1994 年カンヌ映画祭審査員特別賞・主演男優賞受賞の日本未公開作がやっとこさ公開です。1940 年代の中国革命、50 年代「大躍進」運動、60 年代「文化大革命」、激動する中国史を生き抜く夫婦の物語。
40 年代。フークイは、地主の御曹司で、毎夜、博打に明け暮れます。「博打やめへんと実家に帰らしてもらうで!」と妻チアチェン(コン・リー)がなじってもやめられない。ついにはスッテンテン、屋敷は人手に渡り、一気に貧乏人に転落。激怒した父親は脳溢血でポックリ。しかし禍福はあざなえる縄の如し、後に「貧乏になっといて良かった!」と思える瞬間がおとずれます。オモチロイです。
50 年代。「大躍進」運動とは、「鉄が全てに優先する」のスローガンのもと、鉄鋼生産を倍増するため、素人を大動員した人海戦術です。農民たちはノルマを達成するため農業をほっぽり出して鉄くずを集め、鍋や釜、ついには農具をも炉にくべて、質が悪くて使い物にならない鉄づくりに励んだそうです。主人公フークイ一家も賢明に働きます。しかし悲劇が…。
60 年代。文化大革命の時代、フークイ夫婦の娘は筋金入りの労働者と結婚。やがて出産を迎えます。病院に行き、病室にいた歳若い女学生に「あのー、先生は?」と聞けば、「何いうてんの? 私が先生やで。何も心配いらんで」と言う。「造反有理」のスローガンの下に、経験豊かな医者たちは自己批判を迫られ投獄されていたのですね。一抹の不安。案の定、えらいことに…。
パンフレットによると、チャン・イーモウは国民党の元兵隊の息子。子供時代はいじめられ、青年時代は文化大革命で農村に放り出され、27 歳で映画学校「北京電影学院」への入学を希望するも年齢制限にひっかかって拒否されます。「自分は文化大革命で 10 年間まともな教育を受けてへんかったんや、なんとかしてえな」と手紙を文化省に送ってやっと入学を許可され…、監督自身も中国の激動に翻弄された過去を持っているんですね。
この、『活きる』が素晴らしいのは、いかに悲劇に見舞われようとも、フークイ夫婦が決して政府を批判せず、唯々諾々と時の政府の政策に従っていく点です。夫婦の批判は、身近な人にしか向かわない。「こんな目に会うのは政治のせいだ」「民衆はいつの時代も政治の犠牲になるのだ」とは決して言わない。民衆は、目に見える物しか批判しない。
政治に決して目覚めない夫婦は、愚鈍なのかも知れません。中国においては政府批判は命取りだからという面もある。しかし、夫婦は「昨日よりも今日の方がいい時代だ。明日はもっといい時代になる」と本当に未来を信じている。左様、民衆とは政治に翻弄される弱い存在ですが、未来を一貫して信じる力がある。フラフラと奇妙な政策を打ち出す為政者よりもよっぽど強い存在なんですね。常に政治を受け入れる善良なる夫婦を描くことで、民衆を振り回す政治の愚かさを鋭く暴露している、と思うのですね。
チャン・イーモウは撮影プランをスタッフたちと徹底討論して決定するそうです。民衆のための映画を民衆の力で作っていく、と。この映画では「大躍進」や「文化大革命」を先頭に立って進める人たちも、滑稽かつグロテスクではあるけれど善良な人々として描かれています。民衆に対する盲目的ともいえる信頼が存在する。チャン・イーモウ、偉い! …と、私は卒然と感動したのでした。
また映画では、悲劇が、同時に爆笑ものの喜劇、ブラックユーモアとして描かれます。悲劇を語る場合には、泣き叫べば良いというものではない。それが笑いに転嫁するまで距離をおき、客観的に見つめなければならない。すると、そこにはより強い説得力を持った表現がたち現れる。不条理ではあるがリアルな表現です。これはモフセン・マフマルバフ監督の『カンダハール』とも共通する雰囲気でしょう。
ともかく、笑いどころ、泣きどころ満載、激動の時代の中国、民衆はいかに生きたか? が実感できる名品。バッチグンのオススメです。京都朝日シネマで上映中。
☆☆☆☆★★(☆= 20 点・★= 5 点)
BABA Original: 2002-May-30;