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 Movie Review 2002・7月17日(WED.)

鬼が来た!

日本映画みたいな『鬼が来た!』

『太陽の少年』に次ぐチアン・ウェン(姜文)の監督第 2 作。今回は主演も兼ねております。チアン・ウェンといえば、『紅いコーリャン』でのコン・リーの相手役ですね。以前から片鱗はうかがえたのですが、すっかり殿山泰司です。役柄も殿山泰司風で、夜の海、船をこぐシーンは『裸の島』かと思いましたよ。私は。

 チアン・ウェンが殿山泰司に似ているから、というのもありますが、今村昌平っぽい、というか、日本映画っぽい。やたら日本人が怒鳴りまくっているのは黒澤明みたいです。というか、日本人が作ったんじゃないか? と思われるほど克明な日本人描写です。

 ところが、やはり、違和感があるのですね。「この人たちは日本人のフリをした宇宙人なのではないか?」という奇妙な味わいです。冒頭いきなり「軍艦マーチ」を鳴り響かせて村を行進する日本軍の姿や、『兵隊やくざ』もビックリの現代ヤクザ風兵隊描写に、私は、「こんな日本軍はおらんやろ」と頭がグネグネになったのでした。

チアン・ウェン監督のモチーフ

 それはともかく監督チアン・ウェンはこの映画を作った動機について以下のように語っているのでした。

自分の知っている日本人にはいい人間が多い。それなのに、彼らの上の世代は、なぜ中国であんな残虐な行為をしたのか。自分はその謎を知りたい。
(同映画パンフレット/川本三郎『寓話とリアリズムのあいだに戦争がある』より)

 小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言』を読みますと、戦時中日本軍はメチャクチャひどいことをやった、と描き出すプロパガンダ/歴史の偽造が行われている、と主張されています。私も「南京大虐殺など無かった!」とは小林よしのり氏はなんと反動的なヤツだ! と思っていたのですが、最近は「虐殺の明確な証拠はない」とする小林よしのり氏の説に納得することもしばしば、南京大虐殺があったか無かったか? 自分で調べてみないとわからないなー(無理?)、というのが近頃の気分です。「分断して統治せよ」、これがアメリカの世界戦略の基本である、アメリカは次は中国と戦争しようと考えている、そのために日本と中国、韓国をお互いいがみあわせているのだ、との副島隆彦氏の説もありますし。

 チアン・ウェン監督は、日本人が「なぜ中国であんな残虐な行為をしたのか。自分はその謎を知りたい」とおっしゃられますが、私は、本当に日本人はこの映画に描かれているような残虐行為をしたのでしょうか? と問いたい。戦時中、日本人もひどいことをしたかもしれませんが、果たして『鬼が来た!』に描かれる、終戦後に日本軍による虐殺が事実としてあったのかどうか?

『鬼が来た!』はプロパガンダ映画ではないか?

 突然ですが、『戦争プロパガンダ 10 の法則(アンヌ・モレリ著・草思社)であげられている「10 の法則」を引用します。プロパガンダには以下のような論調が含まれる、ということです。

  1. 「われわれは戦争をしたくはない」
  2. 「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
  3. 「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
  4. 「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
  5. 「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
  6. 「敵は卑劣な戦略を用いている」
  7. 「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
  8. 「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
  9. 「われわれの大義は神聖なものである」
  10. 「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

 上記 10 の法則のような傾向があるなら、ウソ、大げさ、紛らわしいと考えなければならない。まず、『鬼が来た!』にはどれだけ真実が含まれているか、疑ってかからなければならない、と思うのです。あまり懐疑主義的であろうとすると、「確かなものなど何もない」という相対主義に陥る危険性はあるにしても、この映画を見終わって即「戦時中、日本兵はなんとひどいことをしたのだ!」とビックリするのもどうか? と思うのです。どこが真実でどこが捏造なのか? 批判的に見なければならない。

 チアン・ウェン監督は自伝的な作品『太陽の少年』で、作者は過去を捏造することを真摯に告白しています。しかし今回、そのような自省は行われておりません。残念であります。

日本映画は水をあけられたのか? 

 さてパンフレットで宮台真司氏は、以下のように述べ、「大きく水をあけられた日本映画」と主張します。

『鬼が来た!』の凄さは、現代社会の存続に関わる有効なメッセージを発し得ていることのみならず、そのことによって喜怒哀楽の単純な感情に訴える娯楽性を、微塵も犠牲にしていないことにも見出されよう。(同映画パンフレット/宮台真司『眩暈の中で浮かび上がる深い世界認識』より)

 まず、日本軍の残虐性を取り上げるのが「有効なメッセージ」なのでしょうか? 「娯楽性」を見ても、あまり笑えない喜劇でしかなく、メッセージ性と娯楽性を両立させているとはとても思えないのですね。私、偉そうですね。すいません。

『戦争プロパガンダ 10 の法則』でも

すべての広告がそうであるように、プロパガンダも、人の心を動かすことが基本だ。感動は世論を動かす原動力であり、プロパガンダと感動は切っても切り離せないものだと言っていい。

 と書かれており、メッセージ性と娯楽性を高い水準で融合させることこそ、最良のプロパガンダなのだぞ、と私は独りごちたのでした。

 長々と書いてまいりましたが、そんなことはどうでもよく、オープニングとラストはなかなかにカッコ良いです。プロパガンダ映画好き、クストリッツァ監督の映画好きの方にはバチグンのオススメです。

☆☆★★(☆= 20 点・★= 5 点)

BABA Original: 2002-Jul-17;

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