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 Movie Review 2002・1月17日(THU.)

ゴジラ・モスラ・
 キングギドラ
 大怪獣総攻撃

 平成『ガメラ』三部作や『クロスファイアー』など、安定した娯楽作を連発し(私の中では)定評のある金子修介監督がついに『ゴジラ』に挑戦です。まずもって抽象芸術風タイトルバックからして気合入りまくり! こ、これはいいかも?

 近年毎年のように第一作(1954)の正当な続編たらんと『ゴジラ』が作られ、様々な試みがなされてきましたが、私はこの『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』こそが正当な続編である! と言いたい。

「宇宙怪獣キングギドラが何で日本の守護神やねん!」とか、「双子の姉妹が出てこないモスラなんて…」とおっしゃる方もおられましょう。今度の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ』で描かれている世界において、前提となっているのは第一作『ゴジラ』と、USA 版『GODZILLA』だけなんですね。あ、USA 版『GODZILLA』はどうでもいい存在として扱われるので大丈夫です(何)

 端々に立ち現れる「シュールな感覚」がいい! 例えば、病院の一室のベッド、足を怪我して動けない女性が窓の外を見ると…ズーン、ズーンとゴジラが歩いている! す、素晴らしい! 悪夢の感覚。画面に禍々しさが溢れます。こ、こんなゴジラが見たかった! と私は約 50 年の歳月を経て蘇った「本物」のゴジラに呆然と感動したのでした。

 このシュールさ、禍々しさの源泉は、ゴジラをキッチリ「象徴」として扱ったからでしょう。店主の日記「ゴジラ」でも触れられていたように第一作『ゴジラ』には、ゴジラ=「南太平洋で散っていった大東亜戦争時の戦士達の霊が凝ったもの」説があり、それが第一作の禍々しさの源だったのですね。それをふまえた上で今回は、「ならばなぜゴジラは日本を破壊するのか?」→「ゴジラとは英霊のみならず太平洋戦争で死んだアジアの民衆の怨念も含む。むしろ戦争・災厄一般のシンボル」とされます。立ち上がるキノコ雲の禍々しさを見よ! 圧倒的です。

 そしてゴジラ=「戦争・災厄」が迫れば何が起こるか? 古代の守護神=モスラ・ギドラ・バラゴンが蘇り、「くに」を守るための命をかけた戦いが始まります。守護神復活の場面がこれまた象徴的です。バラゴンは暴走族を血祭りに上げつつ、モスラはモラル無しの若者を巻き添えにしつつ、ギドラは自殺未遂をはかるサラリーマンに発見されつつ復活するのですね。若者のモラルが喪失し、「頑張る」精神が枯渇した時、日本を救うのは愛国心なのです(適当)

 何より素晴らしいのは、近年『インデペンス・デイ』『パールハーバー』などアメリカ映画で剽窃されてきた「特攻精神」の本物が描かれていることです。特攻とは、頑張りに頑張り抜いた末にプロフェッショナルのみが取りえる最後の手段なのですね。任務に殉ぜんとす軍人・宇崎竜堂、またジャーナリズム魂の持ち主である新山千春。立場は違えどそれぞれ職務を全うせんとす父・娘の姿に私は滂沱と涙したのでした。「実戦経験がないのが誇りでした。防人の心を忘れてはおりませぬ!」と卒然と言い放つ宇崎竜堂、カッコ良過ぎ!

 ま、そんなことはどうでもよくて、「危険過ぎる」と取材のための車を出すことを拒否された新山千春は、自転車屋に駆け込みマウンテンバイクを即購入、自転車を駆って現場に向かう! す、素晴らしい! 自転車最高! …と、こんなこともどうでもよく『ガメラ』シリーズからさらに怪獣演出はパワーアップ、怪獣プロレスに手に汗握らされたのは初めてなのでした。

 同時上映は『劇場版とっとこハム太郎 ハムハムランド大冒険』。最近『ゴジラ』は一本立て興業なのに、なぜにかくも似つかわしくない併映作が? …つまり「『ゴジラ』だけでは充分な興収が見込めぬ、『ハム太郎』付けとけ!」ってことなのでしょう。東宝興行担当者にそう判断させた一事を見ても(憶測)、今度の『ゴジラ』の異様さが判るというものです。ハッキリ言って乳幼児には退屈でしょうが、いい大人の方、平和呆けした方々(私?)には、『ハリー・ポッターと賢者の石』の 10100 倍バチグンのオススメです。

BABA Original: 2002-Jan-17;

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