ラフ・ライド
アベレージレーサーの
ツール・ド・フランス
青春のすべてを自転車にうちこみ、アイルランド・アマチュアチャンピオンを経てプロとなり、ツール・ド・フランスに 1986 、1988 、1989 年と 3 度出場した「平均的」レーサー、ポール・キメイジの自叙伝です。
さて「ツール・ド・フランス」TV 中継などを見ましても、200 名近い選手の内、当然の事ながら TV に映るのはほんの一握りであります。しかし、注目されざるアシスト――エース選手を勝たせるために、水を運んだり、風よけになる補助役――に徹する選手それぞれにも感動のドラマがあることを、この本は教えてくれます。
自転車の、数日間にわたるステージレースほど過酷なスポーツは他にない、中でもツール・ド・フランスは特別なレースなんだ、などと申しますが、キメイジ氏の手記は、そんなレースのリアリティを伝えます。
雨が降ろうが雪が降ろうが走り続けなければならず、時間切れぎりぎりでゴールしたときには「くそ! どうして制限時間内にゴールしたりしたんだろう。また明日も同じ苦しみを味わうのかと思うとぞっとする」とか、手袋忘れて、坂の下りで冷えて冷えてブレーキもかけられないくらい手がかじかんで、オシッコで指を温めちゃった…とか、下痢のグレッグ・レモン(当時のアメリカ人トップ・サイクリスト)がウンコ垂れ流しでもトップをめざしてて、その臭いことと言ったら! …とか(汚い話ですいません)、それでも完走した者だけが得られる「ロードの巨人」の栄光をめざして走り続けるサイクリストの姿に私は呆然と感動したのでした。
同時にキメイジは、TV では決して語られない自転車レースの暗部を描き出します。地方で開催される周回レースは「ショウ」であり、観客がいちばん喜ぶ選手が優勝するようあらかじめ打ち合わせされているのさ…とか、ドーピング・チェックのないレースでドーピングするのは「プロなら当たり前」の風潮…とか。スポーツマン的潔癖性を持つ著者キメイジは、当初薬物を拒否しますが、頑なに拒否し続ければ良い成績を残せず、左様な協調性のない選手はレース主催者からお声がかからなくなり、そうすればプロ選手として生き残れない…恐怖感がキメイジを苛み、やがて禁止薬物摂取に手を染めるようになります。
プロ選手にとっては常識、しかし決して外部に漏らしてはならない秘密をキメイジは明かします。それは、「スープにツバを吐くような」プロの風上にも置けぬ裏切り行為であり、「実績を残せなかったヤツほど、そういうことを言うのさ」と嘲られることを意味します。それでも告白せざるを得ない著者キメイジの、自転車レースに対する偉大な愛情に私は呆然と感動しつつ、「いまではロードレースはあらゆるスポーツの中で、もっともクリーンなスポーツなんだ」との言説とは裏腹に未だドーピング騒動がくりかえされる事態をみるに、ロードレースというスポーツが危機に瀕している状況は続いているのだ…と漠然と不安に襲われたのでした。
ここに描かれる薬物汚染はロードレースだけでなく、あらゆるプロスポーツに付いて回る脅威でしょう。スポーツ一般を愛する方にオススメですし、ときおり挿入される、選手時代に書かれたコラムもシミジミと短編文学の香りにてオススメです。もちろんロードレース好きは、女房を質に入れても読まねばならぬ必読文献ではないか?…と、にわかロードレースファン私は思うわけです。ハイ。
BABA Original: 2001-Sep-18;